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『人生論』(トルストイ)
P103

「今だって他の連中は俺のことを自分以上に愛してなんかいないんだ。だから俺だって、自分より他人を愛することなんかできないし、他人のために快楽をなくしたり、苦しみをなめたりするわけにはいかない。理性の法則なんか、俺には用はない。俺がほしいのは快楽であり、苦しみからの解放なんだ。しかし、現に存在同士のたたかいがあるというのに、俺一人だけたたかわずにいたら、ほかの奴らに踏みつぶされちまうじゃないか。すべての人々の至高の幸福を心の中でどんな方法で達成しようと、俺の知ったことじゃないさ。俺に今必要なのは、最大の現実的な幸福なのだ」誤った意識が言う。
「そんなことは何も知らない」理性的な意識が答える。「わかっているのはただ、君が快楽とよんでいるものが君にとっての幸福となるのは、君が自分でそれを獲得しようとするのではなく、他の人々が君に与えてくれるようになる時だけ、ということだ。君が自分のために捉えようとする時に限って、君の快楽とやらは、現に今なっているように、余分なものとなり、苦しみとなる。君が現実の苦しみから解放されるのは、他の人々がそれから君を解放してくれるようになる時に限られているのだから、今のように、仮想の苦しみに対する恐怖から自分で自分の生命を奪ったりして、いかに自分で解放しようとしてもだめなのさ。
 それから、こういうこともわかっている。個我の生命、つまり、みんながわたし一人を愛してくれ、わたしも自分だけを愛することが必要な生命、わたしができるだけ多くの快楽を得て、苦悩や死から解放されるような生命――そんな生命こそ、たえまなくつづく最大の苦しみにほかならない。わたしが自分を愛して他人とたたかうことが増せば増すほど、ますます人々はわたしを憎んで、ますます凶暴にたたかうようになるだろう。わたしが苦悩から身を守ろうとすればするほど、苦悩はますます堪えがたいものになるだろうし、死から身を守ろうとすればするほど、ますます死は恐ろしいものになるのだ。
 人がどんなことをしようと、生命の法則にかなった生き方をしないかぎり、幸福を得られはしない、ということもわかっている。生命の法則とは、闘争ではなく、反対に、存在同士の相互奉仕だからだ」

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