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【宮中晩餐会】最上級もてなし 両陛下、入念ご準備 - MSN産経ニュース

 「国賓」として来日したオバマ米大統領国賓は政府が日本に招待する外国要人のうち、最上級の手厚いもてなしをする最高ランクの賓客だが、オバマ大統領が平成21年に来日した際には国賓ではなく、「実務訪問賓客」という形だった。


 来日する外国賓客の区分は「国賓」「公賓」「公式実務訪問賓客」「実務訪問賓客」「外務省賓客」の順番で、それぞれ待遇が決まっており、国内の滞在経費は日本側が負担する。


 最もランクの高い国賓は国王や元首が対象で、天皇、皇后両陛下が参加される一連の行事に臨む。まず、三権の長、全閣僚も出席して皇居で「歓迎行事」が行われた後、両陛下との「ご会見」「宮中晩餐会」と続き、国賓が東京を出発するにあたっては、両陛下が「お見送り」に行かれる。この“4点セット”が国賓接遇の原則となっており、両陛下は事前に外務省の担当者らから相手国について説明を受け、入念に準備をされる。


 予算や陛下のスケジュールなどの都合から、国賓待遇は年間1、2件。今年3月にはベトナムチュオン・タン・サン国家主席国賓として来日している。

宮中晩さん会 天皇陛下のおことば(全文) NHKニュース

この度、アメリカ合衆国大統領バラック・オバマ閣下が、国賓として我が国を御訪問になりましたことを心から歓迎いたします。
ここに今夕を共に過ごしますことを、誠に喜ばしく思います。
まず大統領閣下に、3年前に起こった東日本大震災に際し、米国政府及び多くの米国国民からお見舞いと支援を頂いたことに対する、私どもの深い感謝の気持ちをお伝えしたく思います。
この地震津波による災害では、死者、行方不明者が2万人以上となり、建物は壊され、美しい海や山に囲まれた町や田畑は、がれきで覆われました。
2万人を超える貴国の軍人が参加した「トモダチ作戦」を始めとし、貴国の多くの人々が被災者のために行った支援活動は、物のない厳しい環境にあった被災者にとり、大きな支えとなりました。
歴史を振り返りますと、貴国と我が国との交流は、我が国に来航したマシュー・ペリー提督と徳川幕府の交渉により、1854年日米和親条約が調印されたことに始まります。
我が国はそれまで200年以上にわたり鎖国政策を行ってきましたが、開国を決意し、欧米の国々より、当時日本にとり未知であった領域分野の学問や技術については、これを鋭意学び、国を発展させることに努めました。
貴国の人々に負うところ、また大なるものがありました。
私が貴国を初めて訪れましたのは、1953年、エリザベス二世女王陛下の戴冠式に参列した機会に、貴国を始めとする欧米諸国を訪れた時のことであります。
1960年、日米修好100年の年には、現在の皇太子を出産して間もない皇后と共に、初めて公式に貴国を訪問し、アイゼンハワー大統領御夫妻主催の晩餐会にお招きいただき、また多くの米国国民と触れ合う機会に恵まれる中、ホノルル、サンフランシスコ、ロサンゼルス、ワシントン、ニューヨーク、シカゴ、シアトル、ポートランドの各地を約2週間をかけて訪問いたしました。
私どもにとり今も忘れられないのは、ニューヨーク訪問の際、貴国政府及びニューヨーク市が大型船によるマンハッタン島巡りを計画し、船上に当時貴国で勉学にいそしむ大勢の日本人留学生を招いてくださったことです。
当時学習意欲にあふれつつも、余裕のない戦後の生活の中でそれを十分に満たせなかった我が国の有為な若者に、更に学ぶ機会を与えてくれた貴国の奨学生制度は、実に有り難いものであったと思います。
その後も国賓としての訪問も含め、貴国を何度か訪れておりますが、その都度貴国民から温かく迎えられたことが心に残っています。
貴国が多様な人々を包容し、民主主義の理想を求め、より良い社会を築こうと常に努力する姿には深い感銘を覚えます。
貴国と我が国の両国民は、先の戦争による痛ましい断絶を乗り越え、緊密な協力関係を築きました。
両国民が来し方を振り返り、互いの理解を一層深め、相携えて進んでいくことを願ってやみません。
両国の友好の象徴となっている桜とハナミズキの季節に行われる大統領閣下のこの度の御滞在が、実り多きものとなりますよう願っております。
ここに杯を挙げて、大統領閣下及び御家族の御健勝と、アメリカ合衆国国民の幸せを祈ります。

バラク・オバマ大統領の宮中晩餐会でのあいさつ

天皇、皇后両陛下、


 本日は私ども一行を格別に温かく歓迎していただき、ありがとうございます。また今夜は、このように丁重におもてなしいただき、感謝を申し上げます。安倍首相ご夫妻、ご来賓の皆さま。


 私が母と一緒に初めて日本を訪れてから50年近く経ちました。けれども国を遠く離れた6歳の少年に示してくれた日本の皆さまの親切を、私は忘れたことがありません。その後、陛下の即位20年の年に、大統領として再び日本を訪問した際には、両陛下が歓迎してくださいました。今でも感謝しております。そして今夜、国賓として両陛下と同席させていただき、大変名誉に思います。これは日米両国民の素晴らしい友情のしるしです。


 これはまた、この上なく光栄なことでもあります。私は第44代アメリカ合衆国大統領ですが、陛下は日本の125代目の天皇陛下です。日本の皇室は2000年以上の長きにわたり、日本人の精神を体現してきました。今夜、その精神を、陛下の平和への思いの中に感じることができます。またこれまでの困難な日々や、3年前の東日本大震災の悲劇にもかかわらず、その強さと規律正しさと高潔さで世界の人々に影響を与え続けている日本国民の立ち直る力の中にも感じられます。


 私は本日、この精神に触れました。荘厳な明治神宮では、日本の古来からの宗教的儀式の美しさを体験しました。安倍首相との会談では、現在の日米同盟を強化することができました。この同盟が壊れることは決してありません。また熱意を持った学生との懇談や、素晴らしい技術の視察を通して、日米両国が協力して築くことのできる将来の姿を垣間見ました。


 日米両国民は、太平洋という広大な海を挟んでいますが、日々あらゆる分野で協力しています。私たちは共に創造し、つくり上げることにより、世界を変える新たなイノベーションを生み出します。共に学び研究して、病気を治療し命を救う新たな発見をします。平和を維持し、空腹の人々に食べ物を提供するため、共に世界の果てまで出かけます。宇宙の神秘を理解するため、共に宇宙にも行きます。日本人選手が大リーグのチームの勝利に貢献した時のような喜びの時にも、3年前のようなつらい時にも、私たちは共にいます。


 そのつらく苦しい日々に、天皇陛下が皇居から直接、日本国民に語りかけたことを、私たちは決して忘れることはありません。最後に、当時の陛下のおことばの精神を思い起こして、私のあいさつとさせていただきます。なぜなら、この精神は、日米両国の友情と同盟に対する、今夜ここに集まった私たちの願いでもあるからです。決して希望を捨てることなく、互いを大切にし、明日も強く生きていけますように。