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【子・孫が語る「昭和の首相」】(1)35代・平沼騏一郎(14年1月5日?8月30日。238日) 平沼赳夫が語る - MSN産経ニュース

 騏一郎は慶応3(1867)年、岡山の津山藩士の家に生まれた。帝国大法科大学(現在の東大法学部)を首席で卒業、「各省の中で一番ばかにされていた」と回顧録で語る司法省に入省した。内務省を希望していたが、大学在学中に司法省の給費をもらっていたのが理由だ。


 その後、検事総長大審院長を歴任。この間、犯罪者の指紋登録や社債信託法の整備を推進した。一方で、弱小官庁といわれた司法省や検察の地位を高めた。天皇暗殺を企てたとして幸徳秋水らの社会主義者無政府主義者を摘発した「大逆事件」や、政財界を巻き込む疑獄事件といわれながら全員無罪となった「帝人事件」に指揮、または関与したとされる。


 大正13年に国粋主義を掲げる「国本社」という政治団体を結成。反共、反社会主義の急先鋒(せんぽう)に立ち、既成政党に対しても「汚職の元凶」と非難、活動の場を政界に移していった。


 枢密院副議長、枢密院議長を経て、昭和14年1月5日、騏一郎は35代首相に就任した。すでに71歳の高齢だった。

 前任の第1次近衛文麿内閣を引き継ぐ形で発足した平沼内閣は、中国などとの戦争による経済の圧迫に対応するために挙国一致体制を整えていった。


 外交ではドイツとの同盟強化が課題だった。しかし、同盟の「敵」をめぐり、「防共」を最大の目的に置いた騏一郎はソ連だけとするよう主張、陸軍側は日本との対決姿勢を強める英米も加えるよう求め、閣内に対立が出た。


 5月になると日ソ両軍が激突するノモンハン事件が勃発。事件最中の8月23日、ドイツがソ連と相互不可侵条約を締結した。騏一郎は「防共」という内閣の大義を失った。


 8月28日、平沼内閣は総辞職。騏一郎は総辞職にあたり次の声明を出した。


 「今回締結せられたる独蘇(ソ)不可侵条約に依り、欧洲の天地は複雑怪奇なる新情勢を生じた。輔弼(ほひつ)の重責に顧み、洵(まこと)に恐懼(きょうく)に堪へませぬ」

 その頃の騏一郎は、戦争の遂行どころか、対米戦争の回避に必死だった。騏一郎は回顧録で、平沼内閣が目指したドイツとの同盟強化は「赤の思想を撲滅するため」だったとしている。そもそも、日本が三国同盟を結んだドイツもイタリアを「国家社会主義で、ソ連の赤とそんなに距たりはない」(回顧録)と断じていた。


 日米開戦前は、知己だった当時の駐日米大使、グルーと接触を重ね、非戦派と呼ばれる人を自宅に招いて密談したこともあった。2度目の枢密院議長だった20年8月には首相、鈴木貫太郎に請われて御前会議に出席、「国体護持」が保証されるならポツダム宣言を受諾すべきだと主張した。


 <騏一郎は、陛下の前で40分くらい主戦派に向かって「あなたたちは本土決戦をしようとしているが、一体どういう備えをしているんだ」などと言った。検事の口調で。彼らはシドロモドロで答えられなかったんだ>


 騏一郎の発言が終わり、鈴木は昭和天皇に御聖断を仰いだ。


 <騏一郎の発言により出席者は主戦派と受諾派に二分され、陛下は終戦の御聖断を下された。御聖断がなければ、本土決戦になり、日本は本当になくなっていただろう>


 騏一郎の言動は一部の軍部や右翼に「危険視」され、騏一郎は2度も命を狙われた。


 1回目は16年8月。


 <同郷の右翼が応接間で面談中、「鬼畜米英に内通している」と言って、騏一郎の首から顔面にかけて、拳銃を5発も撃ち込んだんだな。騏一郎は瀕死(ひんし)の重傷だったにもかかわらず、撃った人間を玄関まで追っかけたんだよ」


 2回目は、終戦の日の早朝だった。空襲を逃れていた平沼邸に陸軍大尉、佐々木武雄らが乱入。騏一郎を探し出せず、最後は家中に石油をまき、火を付けて逃走した。騏一郎は別棟に逃れていたが、6歳だった平沼は「襲撃隊」に銃口を突きつけれられたという。

 ノモンハン事件 1939(昭和14)年5〜9月にかけて、当時の満州国とモンゴルとの国境線をめぐって繰り広げられた紛争。5月11日に両国が軍事衝突すると、日ソ両軍も参加。9月15日、停戦協定が成立し、終了した。日本軍の大敗と評価されてきたが、近年になってソ連軍の死者が日本軍を上回る資料が発見されている。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20140904#1409827262
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20111020#1319113448
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20110201#1296564815
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20101217#1292557191
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http://d.hatena.ne.jp/d1021/20100130#1264827550
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