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国体論及び純正社会主義 - Wikipedia

大日本帝国憲法における天皇制を激しく批判しており、明治維新を革命とし「維新革命の本義は実に民主主義にあり」と述べている。天皇の国家、天皇の国民ではなく、国民の天皇であり、天皇が一国民として、一般の国民と共に国家のために行動する「公民国家」こそが、明治維新すなわち北が言う「維新革命」の本来の理想ではなかったのかと主張している。

なお、この著作は、第二次大戦後、GHQが部分的に出版を認めた。現在は全文を読むことができる。

日本改造法案大綱 - Wikipedia

言論の自由基本的人権尊重、華族制廃止(貴族院も廃止)、農地改革、普通選挙私有財産への一定の制限(累進課税の強化)、財閥解体、皇室財産削減、等々の実現を求めており、軍国主義に突き進んだ日本を倒した連合国による日本の戦後改革を先取りする内容が含まれる。


この北の主張に感化された若手将校たちによる二・二六事件により、北は、事件への直接の関与はないが、理論的指導者の内の一人とみなされ、1937年(昭和12年)に処刑されたため、自らの『日本改造法案大綱』の改革内容の実現を、北が生前に見ることはなかった。


第二次大戦後、GHQによる日本の戦後改革で実現されたものには、北の主張も多く含まれている。

大川周明 - Wikipedia

荘内中学時代は、庄内藩儒者・角田俊次宅に下宿し、このときに漢学の素養を身につけた。また『南州翁遺訓』(西郷隆盛が遺した言葉を庄内の人々が纏めたもの)を何度も読み、明治政府に批判する西郷の精神を学ぶ。

太平洋戦争については、「最後の瞬間までこの戦争を望まず、1940年に、日本がもっと準備を整える時まで、戦争を引き延ばそうと努力した」と記述があるとおり、肥田春充とともに日米戦回避のため開戦前夜まで奔走した。

肥田春充 - Wikipedia

太平洋戦争前夜にはこれを回避すべく大川周明などと協力し、私財を擲って奔走した。戦中には憂国の念止み難く、東條英機終戦勧告を二度に渡って書き、自決の覚悟をするも、自身の悟境より見た「世界人類の救済」との悲願を樹てることにより、死を思い止まる。その後は、人類救済のための宗教哲学の研究に没頭し、この研究を「宇宙大学」と呼ぶ。この時の原稿は積むと人の背丈程にもなり、その一部は死後「宇宙倫理の書」として出版される。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20141022#1413974506
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20121206#1354803003
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20081117#1226912801