2014-11-11 ■ 宗教 歴史 宗教 歴史 ナザレのイエスは、マリアがヨセフとの婚姻前に身籠った子なので、おそらく幼年期は周囲から不義の子と見做されて厳しい悪意の視線を浴びていたと思います。そして全き義人であったヨセフが律法の存在にも関わらず、彼の霊の力でマリアを受け入れた事、イエスが最期に「父よ」と叫んだ事を考えると、イエスが弱者に限りない愛を注いだことと、金持ちと律法を敵視していた事が良く理解できるように思います。おそらくキリスト教の愛はヨセフの霊に宿ったものがイエスから全世界に広まったと考えるべきだと思いますが、どうお考えになりますか? | ask.fm/yuuki_with2us ヨセフがマリアを受け入れたのは、霊の力ともいえるでしょうが、同時に、彼は主が処女から生まれるということが予言されていたこと(イザヤ7:14)も知っていたはずですし、またマリアが精霊によって身ごもったことを知って彼女との婚約を解消しようと思っていた時に、夢の中で神の使いに心配するなと言われています。 イエスが最期に「父よ」といったのはルカ23:46だと思いますが、ここでの「父」はヨセフではなく神のことを指していると考えるのが自然ですし正当だと思います。 またキリスト教の教えに沿うなら、すべての愛は愛そのものである神から来る(一ヨハネ4:7-8)と言うべきだと思います。 http://d.hatena.ne.jp/d1021/20141014#1413283290