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『岸信介の回想 (文春学藝ライブラリー)』
P233

 −−衆議院解散時、自民党の数は二百九十一で、昭和三十三年の五月二十二日の選挙の結果、自民の当選者が二百八十七、諸派・無所属が入って二百九十七になって、六人ふえたということになりますね。この選挙について岸さんはどうご覧になりましたか。
 岸 私はあまり変らないと思っていた。特にこの間の大平君と違うのは、保革伯仲で、政治が不安定でやりにくいから、絶対過半数をとるといった目標があったわけではなく、とにかく、前の選挙からだいぶ日も経っているし、岸内閣として国民の信を問うという意味の選挙だったわけだから。
 −−それで六月十日から第二十九特別国会が開かれ、十二日に第二次岸内閣が成立しますが、この年一番大きな問題は警職法をめぐる騒ぎということですね。国会でも混乱しますが、自民党のなかでもかなりごたごたする。その間の経緯についてお話し下さい。

6-10 岸内閣と警職法 | 史料にみる日本の近代
第58代:第二次岸信介内閣

 岸内閣下において初めての総選挙は、同時に「自社二大政党制」における初の総選挙でもあった。
 この総選挙において、結果は自民党287議席で絶対多数を獲得し、社会党は166議席。この社会党における議席数は同党史上最高のものであったが、この頃から社会党には政権獲得に対する閉塞感が生まれはじめる。