https://d1021.hatenadiary.com
http://d1021.hatenablog.com

篠田麻里子

縁がなければたどり着けない場所とされ、神様に呼ばれた人が行くところという言い伝えから、当日なぜか参拝に行くことができずに2度3度挑戦する人も多い『天河大弁財天社(てんかわだいべんざいてんしゃ)または天河神… https://instagram.com/p/zrbi8dtdn8/

篠田麻里子

天河大弁財天社からの帰り道、丹生川上神社下社にふらっと寄ってみたら、ここの宮司さんにお会い出来て中へ入りませんか?と例祭で年に一度しか入れない75段の階段がある、御本殿を参拝することができました😳写真も… https://instagram.com/p/zreUnqNdsQ/

篠田麻里子

たまたま通りかかってお話し聞かせていただいた宮司さんの言葉に
我欲を優先させて生きれば、欲は欲を呼び不平不満ばかりで心が乱れて生きにくく、心の荷物は重くなるばかり、それと対照的に感謝の対象を探せば荷物はお… https://instagram.com/p/zrgsNSNduv/


丹生川上神社下社

 1998年、丹生川上神社上社丹生川上神社中社、丹生川上神社下社に参拝しようと思いました。理由は2つ。1つは、以前見た、弘法大師空海と丹生(と中央構造線)の関係に関するTVの番組が興味深く、「丹生」が頭の中に残っていたこと。1つは、その年の春バイクを購入して、ひまさえあれば日帰りツーリングに出かけていました。だから、丹生川上神社三社巡りは手頃なコースだったのです。

丹土

左の地図を見て頂くと分かるように、丹生という地名や丹生神を祀る神社は、中央構造線糸魚川・静岡構造線上に、ほぼ乗っていると言われる。構造線上にない若狭湾周辺には、水銀鉱床があるのである。

弘仁六年、弘法大師は遙々京都の高雄から参拝し参籠して境内の一隅に曼陀羅庵を建立し、全胎両部神道説を立て真言宗密教修法の道場として勅許を得、当時神社の狩場であった今の高野山を開拓してこの庵を移し、山王院(今の総本山金剛峯寺)と改め、仏教弘布の根本道場とされました。この時「神白・神黒」という二匹の白・黒の犬を連れた高野御子大神(狩場明神)のおみちびきを得られ心願成就されましたので、高野山により丹生明神・高野明神として二社が祀られ、高野一山の鎮守神としました。爾来弘法大師は、これ偏に当社大神の御稜威によるものとして連年祭儀を怠らず報賽祈願を続けられ真言宗御守護の大神・仏教弘布の大恩神と遺告され、現在尚、おみちびきの神・学問の神として崇め奉ります。

〜 丹生川上神社下社 (終)|よしさんの神社仏閣巡り

『言挙げせず』(言葉に出さない)感じる 察することで感謝をして前向きに生きて心の修練を続けるとし、


神様は清らかな感謝の心で 日々の心の荷物を下ろし向き合えば不思議な事を見せてくれると毎年の例祭の度に確信を深めてまいりました(皆見宮司)。

空海の道 1巻 | 春ちゃんの阪本便り

「現代に「空海の道」を蘇らせるべく、2010年9月24日「弘法大師 吉野・高野の道プロジェクト」実行委員会が発足。

空海少年ノ日、好ノンデ山水ヲ渉覧ス、吉野ヨリ南行スルコト一日、更ニ西ニ向ッテ去ルコト両日程、平原幽地アリ、名ヲ高野(タカノ)ト曰フ」

性霊集に書かれている「空海少年ノ日」とは、当たり前ですが、青年の前のことで、つまり20歳前のことです。


退屈な大学を抜け出し、興味を持っていた吉野に行っていたと思われます。


そこで知り合った山人に、おもしろいところがあるからついてこないかと誘われ、蜂などの虫の影響を受けにくい初冬の頃、その旅に出ました。

尾根筋の多くは分水嶺でもあり、神域でもある場所を、空海は、山人の案内があったこそ、歩くことが出来たと思われます。


この山人は、この辺一帯に居た丹生族に属していました。


「丹」とは鉄などの鉱物をさし、これ等の採掘や精錬、土器製作や土木工事などに関わる人達を「丹生」と呼んだようです。

この丹生族が活躍出来たのは吉野川水系であった為、決して尾根筋東側の熊野川水系に立ち入ることが出来ませんでした。


以上のような考察から、下記のような尾根筋ルートが空海の歩かれた道だと思われます。

大学を中退した空海は私度僧(国家試験を受けずに僧侶になった者)として人家の多いところを通り、吉野と高野を行き来するようになったようです。


尾根伝いの道を「高野山開祖の道」として広めるとともに、一般の人達が歩きやすい私度僧として歩かれた道を今後調査し、「吉野高野信仰の道」として広めていくようです。

すずかけの道 | 春ちゃんの阪本便り

「吉野高野信仰の道」とは、「すずかけの道」と言われている高野大峯街道です。


この「すずかけの道」は、現在、県道53号線と言われるもので、高野山から野迫川を通り、大塔町、天川村洞川に続くものです。


道の駅 吉野路 黒滝 - 吉野/定食・食堂 [食べログ]


http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150301#1425206315
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150301#1425206316
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150301#1425206317
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150228#1425120498
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150226#1424947666
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150224#1424774826
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150223#1424688270
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150222#1424601324
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150222#1424601325
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150221#1424515418
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150221#1424515419
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150206#1423219148
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150201#1422787410
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150119#1421663680


言挙げ - Wikipedia

日本の神道において宗教的教義・解釈を「ことば」によって明確にすることを言う。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150226#1424947667
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150224#1424774840
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150223#1424688264