人文社会系でも正直今の学問のレベルで卒論どころか修論でもオリジナルな実証とか理論的貢献なんて無茶な話で、先行研究の消化で精いっぱい、その中で自分なりの筋道が作れれば立派に「業績」になるはずだししなければいけない、「オリジナルなものを書け」というプレッシャーはまずい。
歴史学の技能って、たとえば呉座さんみたいな古文書学みたいな水準まで行っちゃうと専門技術だということがわかりやすいんですよ。でも、私みたいにまー、だれでも字ズラは追える史料を体系的によむってのもそれなりの専門技術なんですが、わかりにくいんですよね。ちなみに、前者はとっつきにくい
これに近いことは結構思うことがあって、たとえば英語が読めれば誰でもアメリカ研究できるのかって言えば、実際にそんなことはなくて研究対象や研究史上のコンテクストを体系的におさえていなければならない。このコンテクストを体系的におさえるっていうのが時として軽視されてるかも…とかは感じる。