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谷崎潤一郎「細雪」などの創作ノート見つかる NHKニュース

これは、谷崎潤一郎の全集を出している中央公論新社が記者会見して明らかにしました。それによりますと、資料は、谷崎が「春琴抄」や「細雪」を構想していた昭和8年から昭和13年にかけて書いたとみられる255枚に上る創作ノートで、カメラで撮影されたものが印画紙として残されていたということです。
このうち、谷崎が妻の松子の4姉妹をモデルにして昭和17年から執筆した「細雪」については、作品名を、当初、「三寒四温」にしていましたが、創作の過程で作品名を「細雪」と思い付いて変更したことがうかがえます。
また、4姉妹の生活ぶりや会話など、谷崎の身の回りのエピソードが詳細に記録され、作品に取り入れられていることが分かります。
一方、目の見えない琴の師匠・春琴の物語「春琴抄」のノートには、「春琴九才ノトキ失明ス」や、「十七才ノトキ妊娠」などと書かれていて、人物やストーリーの設定が箇条書きで細かく書き込まれています。
春琴抄」の創作ノートはこれまで存在が知られておらず、「細雪」のノートは一部しか残っていなかったため、昭和20年に兵庫県の家が空襲にあった際、焼けてしまったと考えられていました。
しかし、谷崎の幼いときからの友人、笹沼源之助が、ノートを1枚1枚写した印画紙を保管し続け、遺族が「研究に役立ててほしい」と出版社に託したということです。
撮影されたのは、太平洋戦争が始まった翌年の昭和17年ごろとみられ、谷崎文学を研究している早稲田大学千葉俊二教授は「谷崎が空襲でノートが焼けるのを恐れ、写しを友人に預けていたのではないか。戦争が終わったあとも生き残って小説家としてやっていくという強い意志がうかがえ、近代文学研究において大変貴重な超一級の資料だ」と話しています。

谷崎潤一郎の代表作の1つ、「春琴抄」は、満州事変の2年後の昭和8年に発表された作品です。美しく、目の見えない琴の師匠、春琴とその弟子の佐助が登場し、顔にやけどを負った春琴を思う佐助が、みずからの両目を針で刺し、愛する人に一生をささげることを誓うという、谷崎ならではの愛の形を描いています。
一方、「細雪」は、太平洋戦争まっただ中の昭和18年に雑誌で連載が始まった小説で、関西の旧家で美しい4人の姉妹が織りなす日々をつづっています。四季折々の行事や、上方文化の華やかな世界を描きましたが、作品の華やかな内容が「時局に合わない」として連載が中止になりました。
のちに、谷崎は当時の心境を「自由な創作活動が、ある権威によって強制的に封ぜられ、これを是認しないまでも深く怪しみもしないという一般の風潮が、強く私を圧迫した」と記しています。終戦の翌年に刊行された「細雪」はベストセラーとなり、その後、たびたび、映画化やテレビドラマ化されるなど、日本文学を代表する作品の1つとなっています。

今回、公表された創作ノートには、「春琴抄」や「細雪」に関する記述のほかにも、「陰翳礼讃」(昭和8年)や、「猫と庄造とふたりのおんな」(昭和11年)に関する構想メモも記されています。このうち、1匹の猫を取り巻く複雑な男女関係を描いた「猫と庄造とふたりのおんな」については、「妻を嫌って別居する、妻、夫の愛を引かんがために夫が愛する猫を自分の家へ連れて行く」などとストーリーの設定が細かく書かれているほか、「細雪」について書かれた創作メモのなかでは、「猫の話もこれと一つにし、尨大(ぼうだい)なる長編を作らんか?」などと記され、谷崎が「春琴抄」を発表後、次の作品をどのようなものにするか、試行錯誤していた様子がうかがえます。このほか、これまで発表されることなくいわゆるお蔵入りとなった作品の構想も記され、「ボードレエルについて日本人には到底分からないといふことを書く」、「立川流の僧幼時より淫乱なる男、遂に立川流を信ずる」などと、次々と思いついたままに作品のイメージを書き連ねている様子がうかがえます。千葉教授は「作家にとって『春琴抄』という最高傑作を書き上げたあと、次の作品をどうするのか危機の状態に陥っていたのではないか。それを乗り越えるようなすばらしい作品を生み出そうと模索する谷崎の様子がこの創作ノートに表れている」と話しています。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150331#1427798700