https://d1021.hatenadiary.com
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saebou

プリニウスによると、一角獣は馬の体、シカの頭、象の足、イノシシの尾を持っていて低くうなるらしい。

牛頭天王 - Wikipedia

奈良時代までには日本にも入り、蘇民将来説話の武塔天神と同一視され神仏習合では薬師如来垂迹であるとともにスサノオの本地ともされた。京都東山祇園播磨国広峰山に鎮座して祇園信仰の神(祇園神)ともされ現在の八坂神社にあたる感神院祇園社から勧請されて全国の祇園社、天王社で祀られた。

民話の駅 蘇民|蘇民とは?|牛頭天皇と蘇民将来
二見町◆蘇民将来

牛頭天王と蘇民将来伝説の真相

牛頭天王と蘇民将来伝説の真相

祇園信仰 - Wikipedia

祇園信仰(ぎおんしんこう)は、牛頭天王スサノオに対する神仏習合の信仰である。明治の神仏分離以降は、スサノオを祭神とする神道の信仰となっている。京都の八坂神社もしくは兵庫県広峯神社を総本社とする。

第3回祇園祭セミナー

山鉾連合会理事長 深見 茂

深見茂 - Wikipedia

ドイツ文学者、大阪市立大学滋賀県立大学名誉教授、祇園祭山鉾連合会理事長。

祇園祭山鉾連合会前理事 深見茂さんが気になる | 京都人の穴場情報と旅行記【値打ちあるわぁ】

昨日、NHKで京都の祇園祭 宵山の生中継をしたはって

解説で出てきはったおじさんがいちいちええこと言わはる。
どんなお顔や?と手を止めてガン見しました。


特に最後がぐっときた


祇園祭りは子供のためにある
お宝が、京都の歴史が・・そういうことではなく一番の祇園祭の意義は
子供が本物の文化に触れて神様がそばにいることを実感してもらう・・・うんぬん。」

ソフィア 京都新聞文化会議 - 深見茂氏 文化過剰の京都での生き方

 京都人については古くからその評判はおおむね芳しくありません。韜晦(とうかい)的、慇懃(いんぎん)無礼、面従腹背、ダブルスタンス等々があげつらわれます。以下はこのテーマについての私なりの一つの見解であります。
 もう亡くなりましたが、第2次世界大戦後から最近まで活躍していたドイツ語作家に、ヴォルフガング・ヒルデスハイマーという人物がおりました。ユダヤ系で、国籍はアメリカでした。
 さて、この人は近代から20世紀にかけての西洋を指して「文化過剰のヨーロッパ」と定義し、そのような世界に生まれおちた現代知識人にとっては、もはや三種の生き方しかない、と申します。その一つは、有り余る文化財をペーロペーロと嘗(な)めまわし愛玩しつつ生涯を送る道です。学者や大学教授などといった人種でしょう。
 次は、有り余る文化財を前に、もはやなすべき新しい創造も、考えるべき発想も皆無なわけですから、いっそ何もせず、毎日ベッドで寝言しながら昼寝を貪(むさぼ)りゴロゴロと無為倦怠(けんたい)のうちに生涯を送る道です。室町筋の三代目の旦那(だんな)衆に多いタイプではないでしょうか。
 そして最後の一つ、それは乾坤一擲(けんこんいってき)、その有り余る文化財をガシャーンと粉砕し去り、その瓦礫(がれき)の上に立った時、なんらかの新しい展望が開けることを期待するという生き方であります。これは古くは偶像破壊運動、近くは金閣寺炎上、文化大革命全共闘運動、最近ではタリバンの仏像破壊等、文化の古い地域に目をやるならば次々と思い浮かびます。
 ここまでお話ししてくれば、もうご推測いただけましょう。「文化過剰の京都」、そこに生み落とされた京都人、の類推から、私はこの発想を京都の地に移し、京都人にあてはめて考えてきたわけであります。そして、今述べた三種の生き方の一つを選んで生きるのではなく、一個の人格の中に同時に併存させて生きているのが京都人ではないか、と現在では思っております。
 この相矛盾しながら整合し合う、ペーロペーロとゴロゴロとガシャーンとを共に内包し、年齢により、育ちにより、気分により、性格により、そのどれかが、時に突出したり、暴走したりしつつ現れ出、時に委縮(いしゅく)したり、隠蔽(ぺい)されたりしつつ消滅するような多重人格人間を相手にしては、他郷の人々のひんしゅくを買い理解不可能との印象を残すのは当然でしょうが、これこそ京都人という末裔(まつえい)人種の特権でもあるのです。

深見茂理事長って何者?

祇園祭ユダヤ教の祭であると堂々と発言してる、すごい…!
http://m.youtube.com/watch?v=yhlkuGwEecY

4:02
京都祇園祭の山鉾行事と地域住民 −その組織と精神/CEL【大阪ガス株式会社 エネルギー・文化研究所】
日本人の忘れもの 第2部

6月に入ると京都の中心部では、そろそろ祇園祭に向けての話題が市民の口にのぼりはじめる。

さて、この17日から24日までの1週間、昭和40(1965)年までは、氏子は一切の職業活動を中止して生活も心も神々を迎える態度に切り替えていた。「もうかりまっか」のシフトから、「ありがとうございます」のシフトへの転換である。日ごとの務めに追われる俗世をはるかに見下し、われわれを根源において生かし、守り、監督し、叱咤(しった)する最高の諸霊の存在に思いをいたし、1週間、神々への奉仕に努める非常に重要な日々であった。

この心が崩れて行ったのはいつ頃からだろうか。糸偏景気華やかとなり、秋ものの仕入れに訪れた地方の得意先から、1週間も休まれては商売にならんぞとクレームがつき出し、町内の者たちもこの1週間を損失と思うようになり始めたのだろう。そこへ、巡行を一日に纏(まと)めて集客増加を図る京都市の観光政策の指導に対し、渡りに舟と乗って24日を捨てた結果が、今日の17日一本化と私は考えている。なお、その間、神社も花街もこれに動ずることが無かった見識には敬意を表する。
やがて人々の気風も一変し、休商どころか、祭りこそは儲けのためのターゲットと化して狙い撃ちされ、今や絶好の売り出しフェア日と考えられている。時代精神の変化であろうし、止むを得まい。しかし、だからこそ24日復活の議論は、われわれが今一度、人知を超えた存在に思いを寄せ、心静かに、疫病・天災に逝った人々の鎮魂を願う祭り、祇園御霊会の本義に立ち返るいい機会かもしれない。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150614#1434278823
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150614#1434278824
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150613#1434191772
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150613#1434191781
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150611#1434019281
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150530#1432982291
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150507#1430995683
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150613#1434191772
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20110716#1310823926祇園祭山鉾行事と祇園祭山鉾連合会について)