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上原潔

いま話題の高島弁護士が、かなり前から私なんかをフォローしてた件…。私が、現代プロテスタント神学を研究してるからだろう。彼のIDは、神学者カール・バルトをもじったものだ(バール・カルトとなっている)。そのバルトが高く評価した神学者が、私の博士論文の研究対象だった。

bulldozexxx

実際にはあんたらが社会構造の問題だと思ってる物事のほとんどは、特定の政治家や政党や官僚の産み出した政策のせいだよ。

社会構造のせいにし続ける限り、あんたらは本当の敵を見失って、あんたらの寝言を優しく聞いてくれそうな隣の誰かさんのことを殴り続けることになる。

高橋若木

「治安権力との対決」:違う。セクトの、戦術的に一切無益な、パターン化された逮捕劇は、対決ではない。持ちつ持たれつの癒着である。「国家権力」と群衆のあいだには不分明な緊張関係が生じるが、セクトはそれを簒奪、矮小化して自己延命する。セクトがいるかぎり必要な対峙は持続しない。

高橋若木

それは、彼ら(左の知識ある人々)が大昔に諦めた大義の、"汚れているからこそ尊い残滓"のようなものを、生き残った化石セクトに託し、裏切らない自分の密かな矜持のように思ってしまうこと。自分から見ると、これこそほんとうの問題。

高橋若木

このタイプの人々は、セクトの暴力の実例を見つめても、彼らの狼藉を言われても、情けなさを示されても、決して切らない。「ふだんは口にすることも本気で言うこともない、どこかで信じているはずの大義がいつか直面するはずの対決」の汚れ仕事をセクトに託し、裏切らない自分を慰めているからだ。

高橋若木

そういう人たちは、メランコリーに陥っているのである。実は、もはや大義を信じていない。「自分たちは大義をどこかでまだ信じているはずだ」と思い続けたいだけである。こういう人にとって最大の脅威は、現実に大義に近づこうとする動きだ。

高橋若木

セクトのような敗北の化石のなかに「世間に理解されない汚れ」があって、「それを自分はどこかで見捨てない」というポジションは、ほんとうに大義orientedな運動が出てくると保てなくなる。

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