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南京虐殺があったとか無かったとか論争があるようですが、当時も関係者の多くは事実を知っていたんです。陛下が知っておられたかどうかはわかりませんが、折に触れて日露戦争の時の軍と違う」ということはおっしゃっていました。明治天皇のご事蹟をよく知っておられましたから。

「最後の殿様―徳川義親自伝」
日本軍が南京で大殺戮を行なった。殺戮の内容は、十人斬りをしたとか、百人斬りをしたとかというようなものではない。今日では、南京虐殺は、まぼろしの事件ではなかろうか、といわれるが、当時ぼくが聞いたのは数万人の中国民衆を殺傷したということである。

日本軍に包囲された南京城の一方から、揚子江沿いに女、子どもをまじえた市民の大群が怒涛のように逃げていく。そのなかに多数の中国兵がまぎれこんでいる。中国兵をそのまま逃がしたのでは、あとで戦力に影響する。そこで、前線で機関銃をすえている兵士に長中佐は、あれを撃て、と命令した。

中国兵がまぎれこんでいるとはいえ、逃げているのは市民であるから、さすがに兵士はちゅうちょして撃たなかった。それで長中佐は激怒して「人を殺すのはこうするんじゃ」
と、軍刀でその兵士を袈裟がけに切り殺した。おどろいたほかの兵隊が、いっせいに機関銃を発射し大殺戮となったという。

法眼晋作「外交の真髄を求めて」
最もショックを受けたのは南京事件であった。敗走する中国軍を追って南京を占領した日本軍が筆舌を絶する乱暴を働いた事実である。あまりに乱暴狼藉がひどいので、石射猪太郎東亜局長が陸軍軍務局長に軍紀の是正を求め、広田外相も陸軍大臣に強く注意して自制を求めた

戦後現在に至って、南京事件の事実を否定し、これがため著書を発行したり、事実無根との訴訟を起こす者も出てきた。また、被害者の数を問題にする者もいる。残虐行為は被害者の数が問題なのではない。私に理解できぬのは、この世界を震駭し、知らぬは日本人ばかりなり(当時、報道が軍の厳重な

統制下にあった)と言われた大事件を、如何なる魂胆かは知らぬが否定し、訴訟まで起こす者のいることで、このようなことはまことに不正明なことと言わねばならぬ。盗人猛々しいくらいの形容詞では足りぬ。

歴史的事実はいかなるものであれ、事実として認めるほうが宜しい。さもなくば、日本は事実を秘匿し始めた、将来またやるかも知れぬ、と案じる外国人も出てこよう。この未曾有の事件を否定すればするほど、日本の恥の上塗りとなるくらいのことは、常識であると思う。

児玉誉士夫「われ かく戦えり」
外務省情報部長河相達夫氏を訪ねて、外地を旅するに必要な援助と注意を受けたがそのとき河相氏が数枚の写真を見せて「これが天皇の軍隊がすることだろうか」と言って憤慨していたが、それは現地にある日本軍が中国の婦女に暴行を加えている、みるに堪えぬ写真であった

これは中国政府が民衆に抗日思想を宣伝するためのトリックではなかろうかと疑ったが、いろいろなできごとに直面してみると、この写真は真実であることを肯定せざるを得なかった。当時、大同では「大同に処女なし」という言葉があったが、この言葉の意味は日本軍の恥辱を意味するものであった。

人間が神や聖人でないかぎり、どこの軍隊でも若干の非行はあるとしても、当時、日増しに激化してきた中国の抗日思想の源が満州事変のみではなく、こうした日本軍の常識はずれの行為がさらにそれに拍車をかける結果となったのだと思う。

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