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セーラー万年筆の中島義雄前社長の華麗な経歴 活動家の前歴ながら大蔵省へ - ライブドアニュース

 解任された中島氏は、かつては「将来の大蔵事務次官候補」といわれた。四角四面の高級官僚とは大きく違った個性で知られていた。東京大学時代に社学同社会主義学生同盟)に属し、教養学部自治会選挙で社青同日本社会主義青年同盟)の江田五月氏(のち参議院議長)と争ったが決選投票で敗れ、副委員長になった経歴をもつ。江田氏は委員長、中島氏は副委員として大学管理法反対闘争を指導、1年間の停学処分を受けた。


 復学後、中島氏は法学部に進み、1966年大蔵省に入省した。学生運動の活動家という前歴があれば門前払いを食うのが普通だが、後に国鉄総裁になる高木文雄氏が秘書課長として上級職を採用していたことが幸いした。「単なる優等生ではダメ」と考えた高木氏は、真に実力のある人材を求めていた。中島はお眼鏡にかない入省できた。


 高木氏が採用した大蔵官僚は「花の41年組」と称され、有能な人材を輩出した。同期のトップに位置し、三羽烏と並び称されたのが武藤敏郎氏、長野厖士氏、そして中島氏である。武藤氏は大蔵・財務事務次官日本銀行副総裁などを歴任し、現在は2020年東京オリンピックパラリンピック競技大会組織委員会事務総長だ。残る2人も大蔵省にとどまっていれば武藤氏と似たコースを歩いたことだろうが、過剰接待問題などで大蔵省を追われた。

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