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【角栄政治の神髄】石原慎太郎氏の初当選あいさつに一喝 政治家・田中角栄、人心収攬術の底流に「人間平等主義」 - ZAKZAK

 1968年、石原は当時の参院全国区トップで当選を果たした。怖いものなし、威勢のいい石原は初当選のあいさつで、自民党本部の幹事長室を訪れた。時の幹事長は田中、開口一番、石原は田中に言った。


 「自由新報(=党機関紙)の編集も含めて、自民党の広報はなっていない。党本部の職員は削減すべし」と。


 この場に同席していた幹事長室の職員が、次のように話してくれた。


 「じっと聞いていた田中幹事長がスパッと言いましたね。『キミの話は分かった。しかし、石原クン、人間は木の股から生まれてくるのではない。人には歴史がある。家族もある。簡単に削減とはいかん』と。石原さんは『?』というような顔をし、目をパチクリさせながら、不満気に幹事長室を出ていきました」


 田中の広大無比の人脈、極め付きの人心収攬術の底流には、自らが地べたをはいずり回り、たたき上げでここまで来たなかで得た「人間平等主義」があった。人に対する差別は一切なかった、だから、人が集まった。


 「人は誰でも出来損ないだ。しかし、その出来損ないを愛せなければ、政治家は務まらない。そこにこそ、政治の原点がある」という透徹した言葉もまた、それを物語る。

 石原は昔、議員生活で、終始「反田中」の急先鋒(せんぽう)だった。だが、前出の著書で「83歳になって初めて田中角栄の凄さが分かった」と告白した。筆者はこれを読んで、実は、石原こそ「田中角栄」になりたかったのではないか、なれなかった無念さを感じ取ったものであった。


 政界に厳しい視線を送り続けた作家の松本清張は、田中を評し「50年に1人出るかどうかの天才、梟雄(きょうゆう=残忍で強い人)」と書いた。批判はあったが、その天才的な政治能力、何事にも真剣勝負、全力投球の姿勢を表現したとみている。


 田中はロッキード事件でつまずくなど、「光と影」を残した政治家だったが、誰もが参考にしていい「生きる姿勢」を教えたといえる。

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