ヘーゲルとマルクス、あるいは「行方不明少年」発見のニュースについて考える。 - 哲学者=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記』
つまり、過去のデータをマニュアル化した体系的思考や理論的思考の限界と陥穽である。科学的思考ではなく科学主義的思考の限界と陥穽と言ってもいい。私は、そういう思考を「イデオロギー的思考」と呼ぶ。
あるいは「近代主義的思考」の限界と陥穽である。
ヘーゲル的思考とは「想定内の思考」と言い換えても、大きく間違ってはいない。マルクスの「ヘーゲル批判」はそこにある。マルクスの思考は、「なにが起きるか分からない」という「想定外の思考」から成り立っている。
哲学者=柄谷行人は、『世界史の構造』で、この二つの思考法を、「事前の思考」と「事後の思考」と呼んで区別している。むろん、マルクスの思考は「事前の思考」である。