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羽生善治王位が人工知能や棋士の決断について語ったこと(1/3) | どうしんウェブ/電子版(囲碁・将棋)

 よく「棋士は何手くらいを読むのですか」と質問されます。単純ですが、難しい質問です。理由は、あまり数えていないからです。必ずしも先を読んでいるわけでもありません。


 棋士は最初に直観を使います。将棋は一つの場面(局面)で平均80通りの指し手があると言われています。それを直観で2、3手に絞っています。残りの可能性は最初から考えていません。あらゆる手をしらみつぶしに考えていては、日が暮れてしまいます。蓄積した経験と照らし合わせて、ここが中心ではないかな、急所、要点ではないかなということから、3つくらいの手を選びます。直観というのはやみくもではなくて、経験や学習の集大成が瞬間的に現れたもの、と言えば分かりやすいと思います。


 次に読みに入ります。先を読む、未来を予想、シミュレーションするわけです。ここで、あっという間に数の爆発という問題にぶつかってしまいます。指し手の可能性は、足し算ではなく掛け算で増えていきます。3手に対してそれぞれに3手、さらに3手と増えていき、10手先だと3の10乗、約6万弱の可能性になってしまいます。コンピューターにとっては一瞬ですが、人間にとっては現実的ではありません。最初に9割以上の選択肢を捨てているにもかかわらず、10手先を読むことは想像以上に難しいことです。


 3番目に大局観を使います。逆の意味は「木を見て森を見ず」。具体的な一手、飛車を動かすとかではなく抽象的なこと、最初から現在までを総括し、先の戦略、方針を考えるわけです。大局観のメリットは、無駄な思考、考えを省略できることです。ここでは攻めていった方がいいという大局観があれば、攻める選択肢だけを集中して考えればよくなります。


 棋士は、この直観、読み、大局観の3つを使って考えます。世代によってその比重、割合は変わってきます。10〜20代の若い時、読む力や記憶力、計算力、瞬発力が強いですから、それを中心に。年数を経て経験を積むと直観や大局観といった感覚的なものを重視する傾向があります。これは良い悪いではなく、山登りで言えば北から登るか、南から登るかの違いです。方法論として、どちらも有力と考えられます。

羽生善治王位が人工知能や棋士の決断について語ったこと(2/3) | どうしんウェブ/電子版(囲碁・将棋)

 これは、ただ強くなる、進歩するというだけの話ではなく、美意識の問題とも非常に重なってきます。将棋は盤面のいい形、美しい形、あるいは愚形とか、形の良しあしをきめ細かく見極める力によって強くなります。しかしコンピューターは、そういう美意識とは合わない、違和感のある形の手を提示します。そういうものに出会った時、アレルギーを感じて取り入れない、というのも考え方です。

 大切なのは五感を使うことです。人間は目から視覚からかなりの情報を得ていますが、本当に深く記憶する時には、手や口や鼻や耳…さまざまな感覚器を使うのが大事だと思っています。


 それから、運やツキの問題があります。目に見えず、科学的に証明されたわけではないのですが、勝負の世界に身を置いていると、そういうものもあるのではないかな、と思います。運やツキはヒトを魅了し、惹きつけてやみません。ギャンブルや占いがいつの時代も流行るのは、とても楽しいことだからではないでしょうか。


 しかし、あまりにツイているか、いないかを考えると、最善を尽くすことがおろそかになってしまいますから、あまり気にしないようにしています。そうは言っても、気になるのが人情です。私が、結果がでない時どうしているか、話をしてみたいと思います。


 不調なのか、実力なのか見極めることが大切です。将棋の世界では「不調も3年続くと実力」という言葉があります。自分自身の実力、シビアであるけれども努力や研鑽が足りなかった、ということがあります。そうではなく不調というケースがあります。やっていることは間違いないけど結果が出ないと。きょう始めて明日、結果が出るということほとんどなく、ある程度のタイムラグがあって実を結ぶということがあります。そういう時にやっていることを変えてしまうと、元の木阿弥になってしまいます。とは言え、気分は落ち込みやすいので、気分を変えることをするようにしています。趣味を始めたり、部屋の模様替えをしたり、服装を変えたり、朝早く起きてみたり、日常の生活の中に小さな変化やアクセントをつけることで、不調を乗り切ります。


 胸突き八丁という言葉があります。富士山の8合目あたり、そこから先は肉体も精神もきつい状況になります。(目標に対して)もう8、9合目だといいところ。自分なりの手応えを感じているから、プレッシャーを感じるのです。ですから、プレッシャーがかかることによって、才能や能力が花開きます。自分も公式戦で時間に追われている時、深く考えています。「待った」のできない時、そういう中で集中力を高めています。これは、上達、進歩することと近いことではないかと思っています。小さな子どもでも、遊んでいる時は集中しています。でも、飽きっぽいから持続しません。そこで、3分とか5分、練習することで、長い時間、集中できるようになり、気が付くとうまくなっていたのかな、となるのではないでしょうか。集中力が長く続くようにすることは、上達と密接に関係していると思っています。

羽生善治王位が人工知能や棋士の決断について語ったこと(3/3) | どうしんウェブ/電子版(囲碁・将棋)

 実は私も、ネットでそういう人たちとかなり練習しました。ネットではお互い、本名は名乗りませんが、相手がプロか素人か、ちょっとやれば分かります。ひどい時は、相手が誰かまで分かります。以前、あるタイトル戦の前日にウォーミングアップとしてネットで対局したら、相手が次の日の対局相手だった、ということがありました。これはまずいなと思って、それ以来、ネット対局はしないようにしているのですが。


 ネットによって地域差がなくなってきました。これは、間違いのない現実で、将棋の世界で起こった技術革新です。いまの時代、大量のデータや情報・理論から打ち出される結論と、自分自身の持っている動物的な野生の勘みたいなものから導き出される決断を、車の両輪のように使い分けていくことが大事だと思います。

#AI