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ポストモダン以後、現代哲学の潮流はどこにあるのか|いま世界の哲学者が考えていること|ダイヤモンド・オンライン

「近代」から新たな時代への歴史的転換が、今進行中である、と考えられないでしょうか。かつて1970年代から80年代にかけて、世界的に「ポストモダン」が流行しました。しかし、この流行は長く続かず、やがて「ポモ」などといって、ずいぶん前から嘲笑の対象になりました。たしかに奇抜な建築は残されたのですが、理論的な成果には乏しかったように思えます。


けれども、「ポストモダン」が一つだけ重要な問題提起をしたのは間違いありません。「ポストモダン」という言葉そのものが示しているように、モダン(近代)を相対化し、その終わりを主張したことです。「モダン」をどう捉えるかは、論者によってさまざまですが、モダンが終わりつつあるという直観は、時代として共有されていたように思えます。「ポストモダニスト」になるかどうかは別にして、現在が「モダン」そのものの転換期であることは、注意してよいと思います。


時代の変化という点で言えば、哲学そのものも変わり始めていることに、注意が必要です。ひと昔前の哲学観は今では通用しなくなっています。
たとえば、哲学の発信地はどこかと訊ねると、以前はドイツやフランスを挙げる人が多かったと思います。ドイツでは、カントやヘーゲルニーチェハイデガーの伝統があります。フランスでは、第二次世界大戦後にサルトル実存主義、その後フーコードゥルーズデリダといったポスト構造主義の流行がありました。ところが、「哲学の今」を考えるときこうしたイメージはもはや妥当ではありません。


周知のように、20世紀末に経済のグローバリゼーションが進展しましたが、これと同じことが哲学についても起こったのです。しかも、グローバリゼーションがアメリカナイゼーションでもあったように、哲学のグローバル化は同時にアメリカ化でもあるように見えます。大陸系の哲学者たちが、こぞって英米系の分析哲学を導入しつつあるのです。
ちょうど言語として英語が共通語となったように、哲学でも分析哲学が共通哲学のようになり始めています。それだけではありません。ドイツやフランスの哲学者にかんする研究が、本国からアメリカへと移っているのです。

しかし、哲学のグローバリゼーションは、その次のステップに進みつつあるように見えます。20世紀末にいったんアメリカへと向かった哲学の潮流は、21世紀を迎えると、再び逆流し始めています。現在では、グローバル化を受け入れた後で、再び独自の哲学形成に着手しているように思えます。

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#フランス留学派(=嘲笑の対象→警戒が必要)