【2冊合本版】歴史が面白くなる 東大のディープな日本史 【古代・中世編】&【近世・近代編】相澤理(著)〜東大入試の日本史問題で、あなたの知らない日本史の姿が見えてくる!〜 https://t.co/7N3aqrRy8D pic.twitter.com/6kuaSOvuF7
— 紀伊國屋書店Kinoppy (@Kinoppy_Store) 2016年9月16日
相澤理さんインタビュー「東大の日本史は、教科書を「きちんと」勉強すれば、誰にでも解ける」 - サッカボイス(FeBe内特設サイト) -
動機と言っていいのかはわからないですが、書いてみて自分のなかで再認識できたことはありました。東大の日本史は、教科書や用語集といったものを「きちんと」勉強してさえいれば、誰にでも解けるということです。
つまり、東大の入試問題において、中高一貫の進学校に通い、秘密結社的な塾で「特殊な訓練」を受けた子しか入れないような出題はなされていない。それは入試問題として、「あるべき姿」なんですけどね。学習指導要領を逸脱した内容を問うてしまったら、高校から大学への接続がおかしくなってしまう。このシリーズを書いてみて痛感したのは、教科書をきちんと読み込むことの難しさ、ですね。いちど読んだだけではわからないことってありますから。
あるテキストに関して、だいたいのアウトラインが頭に入ったうえで、時間をおいてもういちど読んでみる。すると、筆者がどのような意図をもって、この文章のこの位置にこの言葉を置いたのかといったことがわかってくる。いちど読んだだけでわかるようなことっていうのは、そもそも「読まなくてもわかっていること」とも言えるのかもしれません。
私が予備校で担当する講座には「東大日本史」というタイトルがついていて、東大を受ける受験生しか来ないわけです。当然、生徒にはそれなりの勉強をして授業に来てもらわないと困る。なので、生徒から「ここ、どういうことなんですか?」ときかれても、たいていは「そんなの、自分で考えろ」のひと言で済ますんです。何から何まで噛み砕いて説明するのは、生徒のためになりませんから。
ただ、この本は一般書ですので、そうはいきません。読者の方に「ああ、やっぱり東大の問題は難しいのか」と思われてしまったら、それは間違った印象を与えたことになってしまう。その意味で、執筆過程で、「どこから」書いて、「どこまで」書くかについては、掘り下げて考えました。たとえば、古代国家についての解説文で「中央集権国家の建設」のひと言で済ませるのではなくて、「中央集権国家って、そもそも何なんだ?」というところで立ちどまったうえで、文章を組み立て直していくという作業には時間をかけましたね。
最後に、ご自身の作品のオーディオブック版をお聴きになってみて、どのような印象を持たれたのか、おきかせいただけますか?
ナレーターさんの抑揚のつけ方が印象に残りました。というのも、作品の前半では抑揚をつけて読まれていたんですが、中盤からは「抑揚をつけないほうがいい」と判断したのか、抑揚をつけるのをあきらめたのか(笑)、どんどん淡々となっていった。その淡々とした感じがすごく良かったんです。
こちらとしては、NHKのアナウンサーが、『首都圏ニュース』などで、「新宿区の雑居ビルで火災がありました」とニュース原稿を読みあげているようなテンションで読んでほしいと思っていたものですから。
そういう意味で、後半に行けば行くほど、余計な抑揚がなくなり、その分だけ耳にスッと入ってくる感覚がありました。ヘンに抑揚をつけられたり、ちょっとテンション高く言われたりすると、聴いているほうとしては、テンションや抑揚「だけ」が頭に残ってしまい、言葉そのものがなかなか入ってこないんですよね。いま、巷では「自分をいかにプレゼンするか」が流行っています。でも実は、自分を表現しようとしないほうが相手に伝わる、ということはあるんじゃないでしょうか。
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160915#1473936207
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160913#1473762910
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