【特集 知性と理性の育成】知らぬ間に偏見に陥り、ときに思い上がり、またあるときは人の意見に左右されて、考え、話し、行動している自分がいます。日々の生活でもきちんと考えるのは難しい。ましてや哲学などを学ぶときはなお難しい。そこで、今回は、知性・理性に関する著作を読んでみます。
— 哲学書新刊情報++ (@Philo_Shinkan) 2016年10月22日
「知性」、「理性」は、さまざまな意味で用いられ、その違いに明確な線引きをすることは困難なようです。一般には知性を直観による判別能力、理性を論理的な考察能力とされているのを承知しつつ(この説明では能力の範囲に重複があるのですが)も、この特集では著(訳)者の使用例に従っています。
— 哲学書新刊情報++ (@Philo_Shinkan) 2016年10月22日
ジョン ロック『知性の正しい導き方』:1706年刊。ロック(1632−1704。経験論を代表する哲学者。)が『人間知性論』への追加を予定して1697年から書いていた草稿で、死後に遺言にもとづき出版された。【Amazon】→ https://t.co/WZInBOaZUh
— 哲学書新刊情報++ (@Philo_Shinkan) 2016年10月22日
『知性の正しい導き方』:「人間が自分自身を導くにあたって最終的に頼ることができるのは、自分の知性」(P15)だが、他人に追従する、情念を優先する、幅広く健全で調和のとれた感覚が欠如しているなどのため知性を正しく用いられない。しかし、理性と知性の自由な行使により改善できると説く。
— 哲学書新刊情報++ (@Philo_Shinkan) 2016年10月22日
コンディヤック『論理学--考える技術の初歩』:1780年刊。コンディヤック(1714 - 1780。百科全書派と交流。『人間認識期原論』など。)がポーランド政府の要請で執筆。フランスでも教科書となった。【Amazon】→ https://t.co/9SOUeT6dzS
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『論理学』:「自然が我々に与えてくれたレッスンを観察することから始めよう」(P18)といい、まず、自然を感覚により観察し分析(・再構成)する理解法を示し、心の機能などを分析する。次に、よくできた言語による推論が必要で、問題を解くときは前提を明示し、未知のことを明確にすべきと説く。
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カント『啓蒙とは何か』:1784年刊。匿名の雑誌論文を機に、啓蒙が問題化したのをうけて、カント(1724−1804。イギリス経験論と大陸合理論を総合したとされる。)が雑誌に投稿した文章。【Amazon】→ https://t.co/I4eLygrrTl
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『啓蒙とは何か』:冒頭の、啓蒙とは「人間が、みずから招いた未成年状態から抜け出ること」(P10)が有名。理性の私的(市民としての地位または官職としての)使用に対して理性の公的(学者としての)使用を示し、その公的使用と議論の、2つの自由があれば、人々はみずからを啓蒙できるとした。
— 哲学書新刊情報++ (@Philo_Shinkan) 2016年10月22日
英仏独語の原文はこちら。
— 哲学書新刊情報++ (@Philo_Shinkan) 2016年10月22日
【『知性の正しい導き方』】→ https://t.co/S2atVHeq27
【『論理学--考える技術の初歩』】→ https://t.co/192tKCOjPA
【『啓蒙とは何か』】→ https://t.co/UnQoc5pgny
知性、理性は、古代から中世初頭までは心の諸能力として知性>理性>感性という階層的な捉えられ方でしたが、カント以降は理性>知性>感性とされるようになったということです。つまり、今回見た18世紀は、知性から理性へと人間の能力で重きが置かれるものが移っていく時代にちょうどあたります。
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この後、19世紀末から20世紀初頭に知性・理性以外の意志、無意識が注目され、二つの世界大戦を経て理性が孕む、あるいは容易にそこへと転じる暴力性が顕わになりました。そして、現代では、普遍的な真理へと至るために用いられる能力としての知性・理性はその役目を終えたかのようです。
— 哲学書新刊情報++ (@Philo_Shinkan) 2016年10月22日