ブラジャー大量生産を支えた 伝説の女性社員 - ブラジャーで天下を取った男 ワコール創業者・塚本幸一 https://t.co/FKrfjQkNWF
— ダイヤモンド・オンライン (@dol_editors) 2016年10月26日
【第29回】
大家がどう思ったかは定かではないが、ともかく渡辺は彼の自転車の後ろに乗って、まだ砂利道だった御池通を走って室町の工場へと向かった。
渡辺が海軍陸戦隊の工場で培ったノウハウは製造部門における生産システムの確立に大いに寄与した。フォードが自動車生産で実現した“フォードシステム”と呼ばれる新しい大量生産型のシステムによって、ブラジャーやコルセットの大量生産が可能となっていった。
後年、提携工場を各地に作っていったが、その工場選定も渡辺の仕事になった。渡辺が決めてから幸一が確認に行くのである。
「おまえが決めてくる工場は温泉の近くが多いなあ」
そう言って笑っていたが、渡辺の決めた工場にだめ出しはしなかった。
トリーカという下請け会社が岡山県津山市にブラジャー工場を作る際、渡辺が最初に行った指導は、
「ご飯粒を落としても、拾って食べられるぐらいきれいに掃除してください」
だったという。