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「武蔵」は、旧日本海軍が極秘に開発した、当時世界最大級の戦艦で、太平洋戦争末期の昭和19年10月、フィリピンのレイテ湾に向かう途中、アメリカ軍によって撃沈されました。


その所在は長くわからないままになっていましたが、去年3月、アメリカの実業家が率いる調査チームが海底に沈む武蔵を発見し、海中映像の一部を公開して世界の注目を集めました。


NHKが調査チームから独占入手した100時間に及ぶ未公開の映像には、世界最大の主砲「46センチ砲」の一部や、対空防衛用に備えられた3連装の機銃、それにヒノキが貼られた甲板や10階建ての建物に相当する高さ30メートルにも及ぶ艦橋などが記録されています。


また映像には、ちぎれた状態の艦首や、裏返しになった艦尾の部分も映されていて、船体がばらばらになり、およそ1キロ四方の範囲に散らばっている様子が見てとれます。


さらに、NHKが独自の技術で映像を1000万枚の画像に分解して3次元の立体モデルとして再現したところ、艦長や士官たちがいた艦橋に爆弾が直撃したと見られる幅6メートルの巨大な穴が確認されたほか、船の左舷に沈没につながったと見られる魚雷が命中した跡が確認され、これまで謎に包まれていた武蔵の詳細や、その最後の様子が明らかになってきました。

「武蔵」は、太平洋戦争開戦の3年前の昭和13年から、長崎県にある三菱重工業長崎造船所で極秘に建造が始まり、昭和17年に完成しました。


武蔵は戦艦「大和」と同型の姉妹艦で、全長263メートル、40キロ先まで届く巨大な主砲「46センチ砲」を搭載する、当時世界最大級の戦艦でした。


内部は1000以上の区画に分けられ、多少の浸水では沈没せず戦い続けられるよう設計されていたことから、絶対に沈まない「不沈艦」とも呼ばれていました。


しかし、太平洋戦争末期の昭和19年10月、フィリピンのレイテ湾に向かう途中、アメリカ軍の航空部隊の集中攻撃を受けて沈没し、およそ2400人の乗組員のうち1000人余りが死亡しました。


武蔵は軍の最高機密として建造されたため、写真や図面などの資料は軍の命令で処分され、公式な資料はほとんど残っていません。
また、戦後沈没した武蔵を捜索するさまざまな調査が行われたものの、船体は見つからず、「沈没したあとも海中をさまよい続けている」と噂されるほど、その存在は謎に包まれていました。


武蔵は旧日本海軍が極秘に開発した当時、世界最大級の戦艦で、太平洋戦争末期の昭和19年10月、フィリピンのレイテ湾に向かう途中、アメリカ軍によって撃沈されました。去年、フィリピン沖の海底で発見されるまで、長く所在がわからなかったうえ、軍が写真や設計図などの処分を命じたため資料がほとんど残っておらず、詳細は謎に包まれていました。


その武蔵の建造に使われた設計図の一部、およそ200枚が武蔵を建造した三菱重工業長崎造船所に残されていることがわかり、NHKに初めて公開されました。設計図はエンジンや機関室のボイラーなどパーツごとに分かれていて、途中で改良のため加筆されたと見られる部分が、赤いインクで書き込まれています。また武蔵が完成した直後の昭和17年に資料として保管されたことを示す印も押されています。


中には「軍艦武蔵」という文字が墨で消された跡が残っている図面もあり、極秘プロジェクトとして建造が進められた武蔵に関する情報の取り扱いが厳重に管理されていたことがうかがえます。