テレビ放送で「不適切な言葉」を訂正をするとき、なぜ訂正した言葉のみを放送するのか。それは、「不適切な言葉」を改めて口にしたなら、まちがいとした内容を重ねて報道して世間に広めることになるからだ。一度口にした内容は、あとから否定されても、知識として聞き手の心に残ってしまうものなのだ。
— 渡辺知明 (@WATANABE_tomo) 2017年1月7日
「朗読とか読み聞かせとか言いますがね、どうもおもしろくないんですよ。読んでいる当人がまるで感動もしないで読みあげているような調子なんだから、こっちが聞いてて心に響いてくるわけがないじゃありませんか。せめて自分自身が意味を理解して読みあげているなら、わたしだって聴く気になりますよ」
— 渡辺知明 (@WATANABE_tomo) 2017年1月7日
いい朗読の読み手の意識。(1)文字をさっと見てフレーズ単位で記憶できる。(2)暗記したフレーズを文字を見ずに声に再現できる。(3)自分の読み声を自ら聴きながら確認している。(4)フレーズを読み終わると次のフレーズの始めの音が予想できる。高度な朗読は音楽の演奏と変わりないのである。
— 渡辺知明 (@WATANABE_tomo) 2017年1月7日
人の朗読などマネてみても、その効果は高が知れている。マネできるのはマネしやすい表面のところばかりだからだ。それよりも動物の声のマネでもするほうがよっぽど表現の訓練になる。個別化された声の見せかけに惑わされず、声の表現の根源にある本質に接近できるからだ。それが自己発見ということだ。
— 渡辺知明 (@WATANABE_tomo) 2017年1月8日