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武田 SECIモデルについてお聞きしたいのですが、ここで重要なコンセプトとなる「暗黙知」とは、熟練したノウハウや思いのような、言語化されておらず他者に伝えるのが難しい知識のこと、そして「形式知」とは論理やマニュアル、概念のように言語化されていて伝達可能な知識ということですよね。


野中 そのとおりです。市場や顧客の暗黙知を“共体験”によって共有するフェーズを「共同化(Socialization)」、その暗黙知言語化してコンセプトへと昇華するフェーズを「表出化(Externalization)」と呼んでいます(上図の上部参照)。


武田 弟子が親方と現場で共感し、背中から学んでいる状態が「共同化」で、その学びを自分の言葉で言語化するのが「表出化」ということですね。


野中 そして、言語化された形式知を組み合わせたり再配置したりして新たな体系的な知識に変換するフェーズが「連結化(Combination)」、さらにその形式知を自己のノウハウとするため身体化するするフェーズが「内面化(Internalization)」です(前ページ図の下部参照)。


武田 ノートに書き留めた作業手順を整理したり、各工程でのポイントをまとめたりして体系化し、新しく入ってきた弟子にも手順が一目でわかるようにするのが「連結化」ですね。
 そして、その手順書を見ながら弟子たち自身が腕を磨き、さらに自分なりの改善を施して技をモノにするのが「内面化」ということでしょうか。


野中 そういうことです。SECIモデルとは、この4つのフェーズをスパイラルとして知識を戦略的に創造していくものです。


武田 S(Socialization)、E(Externalization)、C(Combination)、I(Internalization)。このフェーズをぐるぐると絶えず回していくことで、組織として成長していくわけですね。

野中 ところで、クオンさんの会社案内を拝見したら、リベラルアーツパートナーとして編集工学研究所の松岡正剛さんや、情報学者の西垣通さんが入られているんですね。


武田 はい、お2人とも対談をさせていただいたことをきっかけに、継続的に教えをいただいております(松岡正剛氏との対談はこちら西垣通氏との対談はこちらを参照)。


野中 僕も以前、松岡正剛さんがプロジェクトリーダーを務める情報の研究会に参加していたんです。そこで西垣さんとも知り合いまして。
 その研究会では、情報処理モデルや情報創造といったことが議題に上がっていたのですが、海外でセミナーなどをやっているうちに、僕が関心を持っているのは情報というより知識なんじゃないか、と気づいたんです。


武田 そうだったのですね。先生が「暗黙知」の重要性に気づかれたきっかけは何だったのでしょうか。


野中 日本はやはり、暗黙知で回っている部分が多い社会なんですよね。それは、自分の父、妻の父が両方職人だったことからも感じました。職人の技や知識は、全部がマニュアルのような形式知として伝わるものではありません。


武田 よく「背中を見て覚える」などと言われますね。

野中 まさに、一緒に仕事をすることで少しずつ伝わっていくものなんです。
 では、暗黙知、暗黙的な知り方というはどういうものか。我々は部分を統合していくということを知らず知らずのうちにやっていて、そこがポイントになっています。それは積み重ねると、アート、つまり技になっていく。

 たとえば医師は、患者の病状という全体を知るために、患者の様子やレントゲン写真といった部分を暗黙的に統合する技を身につけています。自動車の運転やピアノの演奏といった「すること」にも暗黙知があります。ピアニストは、音楽を奏でるという全体のために、自分の指の動きという部分を暗黙的に統合している。


武田 なるほど、技を極めた寿司職人が、シャリで宇宙を語れるようなものですね。


野中 はい。そうして、マイケル・ポランニー(編集部注:ハンガリー出身の物理化学者・社会科学者・科学哲学者)の「暗黙知」の概念をベースにして、暗黙知、思いといったものを形式知化し、それをまた自分のものとして身体化するというスパイラル運動で、新しい知が創造され、そこからイノベーションが生まれてくると考えました。それを知識創造理論として発展させていったのです。


 そういう意味で、SECIモデルはPDCAではないのです。PDCAサイクルは「P」、つまりプランすることから始まりますが、プランできるということは形式知化されたものから始まっているということですから。


武田 SECIモデルのサイクルは、暗黙知である「共同化(Socializacion)」からスタートするので、根本的に考え方が違うということですね。


野中 そうですね。でも、SECIモデルで扱う知は、暗黙知形式知に明確に分離することはできないと考えています。最初の「共同化」で共感を醸成するときも、形式知が重層的にオーバーラップしてくるので。
 コンテクストに応じて、共同化の場合は暗黙知がリードしていて、表出化のフェーズは互角でインタラクティブな状態になり、連結化では形式知暗黙知をリードする。そして、最後の内面化ではアクションを通じて形式知暗黙知がある種の均衡状態となる。

武田 殴り合いの後で無二の友になるという、青春時代のケンカのようなものですね。


野中 そうかもしれませんね(笑)。要するにSECIモデルは、デカルトの言うようなDualism(二元論)ではなく、Duality(二面性)なんですよ。どこかでいつも重層化している。


武田 グラデーションになっているんですね。


野中 そう、グラデーション。そして、そのグラデーションは状況によって動いていくものなんです。
 SECIモデルのスパイラルになぜクリエイティビティが生まれるかというと、グラデーションであっても暗黙知形式知は一つの極となっているから。そこに葛藤が起こるのです。
 中国の易学でいう陰陽説にも近いものがありますね。デカルトの二項対立は“either or”、つまり「あれかこれか」ですが、陰陽説は“both and”。両方包摂するという発想です。
 両極のものを包摂するとなると、そこにある種の葛藤が起きて、飛躍する。暗黙知形式知とを行ったり来たりして、双方に変換されるプロセスにおいて知的バトルが起こる。そこにイノベーションが起こるというイメージです。


武田 創造的破壊が行われているわけですね。

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