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 私が働きだした20年ぐらい前は、全力で働くことが良しとされ、組織の中に団塊オヤジがどっかり腰を下ろしていて、仕事を取るのも円滑に物事を進めるのもノミニケーションが主体であっても何も問題とされていませんでした。飲みに付き合わない奴はノリが悪いと言われ、取引をするにあたって得意先の幹部が企画する宴会に顔を出さないと他に流れると危惧した時代は確かにありました。

 営業の仕方は一変し、組織が心がけるべきこともこれだけ変容してくると、空気を読みながら相手の要望を察知して先回りして提案したり、相手の懐に入って「面倒くさそうだけどいい奴」という信用を勝ち取り信頼に応えながら仕事を大きくしていくようなやり方もむつかしくなってきたわけです。

 昔は「真面目に働けよ」となれば、文字通り残業をいとわず成果が出るまで倒れても働く、というモーレツを指しました。そこには、確かに人材軽視でマネジメントなど存在しないかのような、若い人材を使い捨ててそれでも這い上がってくる奴が偉い、みたいな仕事の進め方であったことは間違いありません。


 いまは、真面目に働くというのは効率を考え、段取りを組んで少ない労力で最大の成果を出せる人が「真面目」となりました。もちろん、仕事に対して集中していることは大事ですけど、私が投資先の営業会社とかたまに見物にいくと露骨に出ているのは「同じ定時退社でも、しっかりやるべき仕事を終えてさっさと帰る人と、仕事を大量に残して返らざるを得なくなる人」の残酷なまでの差異です。


 一定の働く時間しか与えられないいまの仕事環境では、一定の時間働いて成果を出せる人と、そうでない人があっさり可視化されてしまい、能力はないけど幹部各位の空気を読んだり組織の潤滑油的な愛されキャラがどんどん干されていくという悲しい現実がそこにはあります。むしろ、残業というバッファがなくなればそういう宴会を企画したり社内勉強会をやろうというような人よりも、淡々と働いて成果を出して自己研鑽に励む人のほうが評価されるようになっています。

 昔なら「溌溂としていて、才能のありそうな若者だな。応援したろ」と思うような子でも、いざこの手のマネジメントに放り込んだら「うわ。爽やかな割にぜーんぜん成果出ないアカンやつじゃん。うちの環境に合わないかもしれないから早いとこ他の部門に出してやろう」みたいなことがどんどん起きてくる。

 これって、人間関係の「空気を読む」から、仕事本来の価値に関する「行間を読む」能力にシフトしてきたんだろうなあと思うわけであります。

 巷では「働き方改革」などさまざまな掛け声が広がっていますけど、現場で起きていることは間違いなく「生産性を上げるために何を重視するか」ってことじゃないかと思います。やはり、働くからには価値を高めなければならない、限られた時間で出せる成果を最大限にしよう、というのは、私は健全な方向だと思っています。


 言い換えれば、それだけいままでの日本の企業や組織は、日本人の同調圧力や優しさ、事なかれ主義みたいなものの併せ技で、部下や若い人をこき使うことで成り立ってきたところがあって、これが若い人が減ったために工夫せざるを得なくなった、と考えると、いろんな物事の理解が進むのではないかと思うのですけど、どうでしょうか。

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