https://d1021.hatenadiary.com
http://d1021.hatenablog.com


スウェーデンストックホルムにある選考委員会は日本時間の5日午後8時すぎ、ことしのノーベル文学賞の受賞者にカズオ・イシグロ氏を選んだと発表しました。


イシグロ氏は62歳。1954年に長崎で生まれ、5歳のとき、日本人の両親とともにイギリスに渡り、その後、イギリス国籍を取得しました。


1989年に出版された「日の名残り」は、第2次世界大戦後のイギリスの田園地帯にある邸宅を舞台にした作品で、そこで働く執事の回想を通して失われつつある伝統を描き、イギリスで最も権威のある文学賞ブッカー賞を受賞しています。


また、2005年に出版された「わたしを離さないで」は、臓器移植の提供者となるために育てられた若者たちが、運命を受け入れながらも生き続けたいと願うさまを繊細に描いたフィクションで、2010年に映画化され、翌年には日本でも公開されました。


ノーベル文学賞の選考委員会は「カズオ・イシグロ氏の力強い感情の小説は、私たちが世界とつながっているという幻想に隠されている闇を明らかにした」と評価しています。

ノーベル文学賞の受賞が決まったカズオ・イシグロ氏は、イギリスのBBCの取材に対して受賞の知らせを受けた時の感想について「いたずらかと思った」と述べました。イシグロ氏は「これまでノーベル文学賞を受賞した偉大な先人たちの中に自分の名前が加わることはとても光栄だ」とコメントしています。

カズオ・イシグロ氏は数々の優れた長編小説を英語で発表してきました。


1982年のデビュー作「遠い山なみの光」は、戦後まもない長崎が舞台で、混乱のなか、たくましく生きる女性の姿を描きました。


1986年に発表した2作目の「浮世の画家」は、戦前の日本人画家が主人公で、終戦をきっかけに社会の価値観が大きく変わる中、とまどいながら生きる姿を繊細に表現しました。


1989年に出版された「日の名残り」は第2次世界大戦後のイギリスの田園地帯にある邸宅を舞台にした作品で、そこで働く執事の回想を通して失われつつある伝統を描き、イギリスで最も権威のある文学賞ブッカー賞を受賞しています。


2000年の「わたしたちが孤児だったころ」では、ロンドンで育った孤児が探偵となり、日中戦争で揺れる中国に渡って両親の行方を捜す姿が描かれています。


2005年に出版された「わたしを離さないで」は、臓器移植の提供者となるために育てられた若者たちが、運命を受け入れながらも生き続けたいと願うさまを繊細に描いたフィクションで、2010年に映画化され、翌年には日本でも公開されました。


最近では、おととし「忘れられた巨人」を発表し、老夫婦が何度も困難に直面しながらイギリスで旅を続ける姿を描きました。

カズオ・イシグロ氏は、1954年、長崎県で日本人の両親のもとに生まれました。海洋学者だった父親が北海油田の調査に参加したことをきっかけに、5歳のとき家族でイギリスに移住しました。


イギリスでは現地の学校に通い、ケント大学やイーストアングリア大学で英文学などを専攻したということです。


イシグロ氏は、父親がイギリスで仕事を続けたため、長年、日本に戻らず、成人したあと、イギリス国籍を取得しました。


イシグロ氏がイギリスに渡ったあと、日本に初めて戻ったのは30代になってからだということです。

ノーベル文学賞の受賞者に選ばれたカズオ・イシグロさんは、6年前に来日した際、「幼いころにいた日本の記憶がよみがえってくるようで、ほかの国に行くのとは全く違った感じです」と、日本への特別な思いについて語っていました。


カズオ・イシグロさんは昭和29年に長崎市で生まれ、日本人の両親とともに幼いころにイギリスに移住して帰化しました。6年前、イシグロさんの小説「わたしを離さないで」を原作にした映画の日本での公開に合わせて来日し、その際開かれた記者会見で、「街を歩いても食事をしても、幼いころにいた日本の記憶がよみがえってくるようでほかの国に行くのとは全く違った感じです」と語りました。


そのうえで、イシグロさんは、「人生は考えているよりも短いが、その中で最も重要なことは何かを読者にじっくり考えてもらいたいと思っている」と、創作に向けた思いを話していました。


ノーベル文学賞の受賞が決まったカズオ・イシグロ氏はロンドン市内で記者団に対して、「すばらしいことで、全く予想しなかった知らせだった。キッチンでメールを打っていた時、エージェントから連絡を受けた。その後、BBCから電話を受け、事実だと信じることができた」と述べました。そのうえで自身の作品について、「私はイギリスで育ったが、私の両親は日本人であり、世界を見る、私の芸術的なアプローチの大部分は、日本的なものだ」と話していました。

カズオ・イシグロ氏は、発表したコメントの中で「まったく予想していなかったことで、信じられない気持ちです。世界は今、価値観やリーダーシップ、安全という面で不確かな時期にあります。この偉大な名誉を受賞することが、たとえ小さくても親善と平和を求める人たちの力になることを願っています」と述べています。


ノーベル文学賞の受賞が決まったカズオ・イシグロ氏は、日本時間の午前1時にロンドン市内で記者会見しました。


この中でイシグロ氏は、「ノーベル文学賞を受賞していない世界の偉大な作家たちに申し訳ない気持ちも感じますが、受賞できることはこの上ない名誉です」と喜びを語りました。


そして、日本出身であることについて、「自分をイギリスの作家や日本の作家と意識したことはありません。作家は一人孤独に作品に向き合うものだからです。もちろん私は日本からもイギリスからも影響を受けてきましたから、自分自身を国際的な作家と考えたいです」と述べました。


また、日本へのメッセージとして、「日本の読者の皆さん、とりわけ日本の社会にはありがとうと伝えたいです。私がどのように書いて世界をどう見るかは、日本の文化の影響を受けていると思うからです。
日本と日本人に非常に感謝しています」と語りました。


そのうえで、「川端康成さんや大江健三郎さんに続く作家になれることを喜ばしく思います。ノーベル賞といえば村上春樹さんの名前が浮かび、申し訳ない気持ちになります」と述べました。


「イギリスに引っ越した後も両親はいずれ日本に帰るつもりだった。伝統的な日本のやり方で育てられた、基本的なものの見方は日本人のまま」


イシグロ氏の原点にある、日本。デビュー作「遠い山なみの光」の舞台に選んだのは、自分が生まれ、5歳まで過ごした長崎でした。


稲佐山のケーブルカー、路面電車、そして原爆。戦後まもない混乱のなか、たくましく生きる女性の姿を描きました。


そして2作目も、主人公は日本人。終戦をきっかけに社会の価値観が大きく変わる中、とまどいながら生きる姿を繊細に表現しました。


「好きな日本語は、『もののあはれ』という表現.『日常にある悲しみ』とでもいうのでしょうか。私の好きな日本の文化の多くでカギとなる概念だと思います。小津安二郎監督の東京物語村上春樹さんの小説にも『もののあはれ』があると思います」(カズオ・イシグロ


早稲田大学文学学術院の都甲幸治教授は、イシグロ文学の魅力を次のように話します。
現代文学の最先端の位置にいるともいえますし、同時にわれわれやっぱり『失われた過去』とか『子ども時代の感覚』とかなんかふと沸いてくるとか有りますよね。そういうような日常的に感じる感覚とイシグロの作品がうまくあうような部分があるんじゃ無いかと思いますね。特に日本の話とか日本の感覚とか出てくるので日本の読者には開かれた作家かなと思う」

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20120427#1335539926
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20120426#1335449951


授賞理由は「偉大な感情の力を持つ数々の作品において世界と結び付く、われわれの幻想的感覚を深い根底から見つけ出してきた」というもの。

「94年受賞の大江健三郎、00年の高行健など、ノーベル賞作家は社会性のある作品が多い。ずしりと重いのです。イシグロ氏の『わたしを離さないで』の設定は、人間が“オリジナル”と呼ばれる世界。彼らの遺伝子によってつくられたクローンの子供たちが成長し、オリジナルに臓器を提供するために内臓を切除され、モルモットのように死を迎えるストーリー。科学と人間の根源的な罪悪がこめられている。一方、村上作品は卓越した文章力でカルト的人気があるものの、若者の表層的な苦悩というイメージが強い。ヒット作『ノルウェイの森』の映画版が酷評されたのはそのせい。だからノーベル賞が空振りに終わるのでしょう」

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20161014#1476441442