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それだけではなく、2つのグループは、互いに対して誤解を抱き、敵視しあっています。文学者たちは、科学者を知識人として認めません。科学者たちのことを、人間のことや社会問題に関心のない楽天主義者とみなしています。一方で科学者たちは、文学者達は先見の明を欠き、時代遅れで非文化的な社会通念を持っていて、深い意味では反知性的だとみなしています。

では、学問分野の線引きを一切なくし、全ての学生が全ての分野を学べばよいのでしょうか。残念ながらそうもいきません。現代の学問は、純粋に知識量が段違いになっていますし、高度に専門化しています。全ての分野の基礎だけを把握しようとするのは、物凄く頑張れば可能かもしれません。また、その路線に少し足を踏み入れるのは教養課程の教育として有効ですし、なされるべきです。しかし、一人が全てを細部までカバーするのは時間的に無理です。よって、各人がどこかのタイミングで、自らの専門分野を(必ずしも1つではなく、2つ3つでもよいので)決めなくてはなりません。そして、異なる専門分野の人々同士が、互いに話し合い、情報を交換し合い、協力して分業しなければなりません。


そのための理想的な教育システムは何でしょうか。学問分野を、むやみに分断せず、それでいて一人が学習しうる範囲に割り振るには、どうすればよいのでしょうか。イギリス人であるスノーは、本書の中で他の国の教育システムを参考に、理想の教育システムを考えていました。我々も、「文系」「理系」という既存の教育に疑問を抱き、新たな方法を考えるべきでしょうし、そのような取り組みは各所で見受けられるように思います。

次に、スノーの主張が危うい部分、通用しない部分についてです。

本書は1959年の段階に書かれたものです。それ以降の社会の変化を織り込んで考える必要がありますし、そもそも不適当な部分もあります。


まずスノーの時代に比べ、現代は学問分野の細分化・専門化がますます進んでいます。「2つの文化」どころか「数百、数千の文化」が乱立しています。それに伴い、危機感を抱いた人々により学問分野間の融合も叫ばれるようになりました。


また本書では、文学者たちは科学者たちを認めず、押さえつけているとされます。しかし、スノーの言う「科学革命」はその後さらに進展しました。科学がより深く生活に浸透し、科学技術の恩恵を受けた品物が我々の生活スタイルを変化させている今、文学者たちのグループはむしろ影響力を失いかけています。今日では、定量的なエビデンスが重視される機会が増え、「大学の文系廃止」というニュースまで飛び交い、技術者の数が増やされています。この点に関してはスノーの嘆いた状況が消え、スノーの提言が現代において大いに実行されたのです。


では、スノーの提言が実行され、技術者が増えた結果、貧困をはじめ社会問題が首尾良く解決したのでしょうか。そんなことはありません。

この点、スノーは勢い余って、様々なことに楽天的でありすぎたと思われます。本書には、科学者たちは適度に楽観主義で、倫理観にもすぐれているという記述が多数存在します。


しかし科学者たちの倫理観が他の職業の人々に比べて特別優れているかどうかは微妙です。原爆開発をはじめ、科学者が社会的責任を問われる場面は多く存在します。研究不正問題も後を絶ちません。


さらに、「科学革命」時代の社会問題を解決するには、歴史的に蓄積されてきた「文系」の知も必要であるように思われます。

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