#天皇家
1893年5月15日、婦人運動家の市川房枝が生まれました。
— RekiShock(レキショック)@日本史情報発信中 (@Reki_Shock_) 2022年5月15日
平塚らいてうらとともに新婦人協会を設立、婦人参政権を求める運動を展開します。
戦後は参議院議員として活躍し、1980年の選挙では87歳の高齢にもかかわらず全国区でトップ当選を果たしました。 pic.twitter.com/wPu7Y6EVrG
速報◆15日、ロシア・ソヴィエト政権のレーニン首相が、裁判なしで銃殺可能な「反革命勢力」の適用範囲をメンシェヴィキ(社会主義右派)やエスエル(社会革命党)の党員にも拡大するよう指令を出す。「テロは説得の手段のひとつであるため、政治的に正しい」と述べる。 =百年前新聞社 (1922/05/15)
— 百年前新聞 (@100nen_) 2022年5月15日
1932年5月15日、内閣総理大臣の犬養毅が凶弾に倒れる「五・一五事件」が起こりました。
— RekiShock(レキショック)@日本史情報発信中 (@Reki_Shock_) 2022年5月14日
議会制民主主義が根付き始めた一方で、世界恐慌を発端とする大不況が蔓延していた最中の事件でした。
海軍将校らに歩み寄る犬養が射殺され、青年将校の主張が肯定されてしまったことで、軍部の台頭が加速します。 pic.twitter.com/MvpW7N1z4U
五・一五事件で犬養毅が暗殺された日、実はチャップリンも来日しており、日本の風紀を乱す彼の芸風を嫌った軍部は、この機会に暗殺を画策していました。
— RekiShock(レキショック)@日本史情報発信中 (@Reki_Shock_) 2022年5月14日
しかし、暗殺情報を事前に掴んでいた世話人の高野虎市の機転により、当夜に官邸で予定されていた歓迎会は中止され、喜劇王は死を免れたようです。 pic.twitter.com/L6cZhJYTE8
五・一五事件での犬養毅の最期の言葉は、戦後『話せばわかる』だったと喧伝されてきました。
— RekiShock(レキショック)@日本史情報発信中 (@Reki_Shock_) 2022年5月14日
しかし、孫の道子氏によれば、『話を聞こう』というのが正確な内容であったと述べています。
犬養家に長年仕えていた女中も、犬養の口から『話せばわかる』という言葉は発せられなかったと証言しています。 pic.twitter.com/wCS9FqeMFR
1972年5月15日、沖縄がアメリカから日本に返還されました。
— RekiShock(レキショック)@日本史情報発信中 (@Reki_Shock_) 2022年5月14日
復帰の2年前には、米兵の交通事故を契機とした米兵優遇に対する反発であるコザ暴動が起こるなど、本土復帰の機運が高まっていました。
しかし、米軍基地は維持されたままの復帰となり、復帰賛成派の県民の期待は裏切られることとなります。 pic.twitter.com/4qovj9uJKH
1974年5月15日、セブンイレブンの第一号店が豊洲に出店しました。
— RekiShock(レキショック)@日本史情報発信中 (@Reki_Shock_) 2022年5月14日
酒屋の山本茂商店の店主が、酒屋の将来性に疑問を感じ、フランチャイズに応募したことで、豊洲が一号店となりました。
初めて売れたのはサングラスでした。
翌年には、福島県郡山市で初めての24時間営業を開始する店が出ています。 pic.twitter.com/jW1YF5aH5B