https://d1021.hatenadiary.com
http://d1021.hatenablog.com

■「樹と田和のどちらを最後にするかは、主将の小澤に委ねました」

 東京六大学野球秋季リーグは2日、早大が慶大2回戦に3-0で勝ち、2連勝で2位を確定させ全日程を終えた。今季は天皇杯を明大に奪われ、リーグ史上最多タイ記録の「4連覇」に届かなかったが、最後の試合では楽天からドラフト2位指名されたエース・伊藤樹投手(4年)が8回、巨人2位の守護神・田和廉投手(4年)が9回を、1イニングずつ締めた。

 勝てば、4年生にとって自動的にラストゲームとなる試合。早大小宮山悟監督は開始前、「これは4年生のための試合だ。3年生以下は4年生のために戦ってくれ」と求めたという。

 もともとレギュラー野手8人中、4番の寺尾拳聖外野手(3年)以外は全員4年生。しかし、そんな指揮官にとっても、前日(1日)の1回戦に先発し8回を114球で2失点に抑えていた伊藤樹が、リリーフでの連投を志願してきたことは想定外だった。

 小宮山監督は「(伊藤)樹はベンチから外そうかとも考えていたほどです。球場に来てから、『樹が投げたいと言っています』と聞かされました。『投げたいといっても、負ければ明日も(3回戦が)あるんだよ?』と返しましたが、『それを承知で、最後に投げたい』と。結局、樹を最後にするか、田和を最後にするかの判断は、主将の小澤(周平内野手=4年)に委ねました」と経緯を明かした。そして小澤主将の判断で「最後はいつも通り(クローザーを務めてきた)田和、樹は8回」と持ち場が決まったのだった。

■正真正銘最後の打席でものにしたチャンス「同期が泣いてくれたことが…」

 4年生たちにとって感動的なシーンが、3-0とリードして迎えた8回2死走者なしの場面で訪れた。日本ハム清宮幸太郎内野手の弟・福太郎外野手(4年)が代打で登場したのだ。東京・早実高時代は通算20本塁打の右のスラッガーとして知られていたが、早大進学後は伸び悩み、最終学年を迎えた今春にようやくリーグ戦デビューを果たしたものの、これまで通算5打数無安打。これが紛れもなく、神宮球場のスコアボードに「H」ランプを灯す最後のチャンスだった。

 初球の外角のストレートを迷わず振り抜く。弱い当たりだったが、打球は右前にポトリと落ちた。正真正銘、最後の打席で生まれたリーグ戦初安打。すぐに代走を送られた福太郎はベンチに戻ると、涙を浮かべて出迎えた同級生のチームメートたちと次々に抱擁を交わし、自身の頬にも熱いものがつたった。「(初安打が)もうちょっと早く出てくれていたら、もっとうれしかったですが、最後に出るあたりはついているなと思いました。同期が泣いてくれていたことが、うれしかったです」と声を詰まらせた。

 小宮山監督は「他の4年生によると、(福太郎は)常に人一倍声を張り上げて、一生懸命チームに貢献してきたそうです。今季、私が福太郎をベンチから外し、他の選手を入れよう思ったことが何試合かありましたが、4年生の学生コーチから『福太郎を入れてください』と進言されて、やめました。仲間たちが、なんとか彼をすくい上げようとしていました」と説明する。チームメートに愛される福太郎の人柄が、そこはかとなく伝わってくるエピソードだ。

 そして指揮官は「私が監督を7年間務めてきた中で、一番仲のいい4年生だったという印象です」と付け加え、温かな笑みを浮かべた。

1月2日「養寿規」

一、早起き、静坐、梅茶を服す。
二、家人に対し、温言和容を失わず。
三、養心の書を読み、養生の道を学ぶ。
四、老壮の良友に交わり、内外の時勢に通ず。
五、凡て宿滞を除き、陰徳を施す。

「朝こそすべて」

英仏の古諺(こげん)に曰く「朝こそすべて」と。
一日二十四時間、朝があり昼があり
夜があるとするのは死んだ機械の一日にすぎない。
活きた時間は朝だけ、換言すれば、
本当の朝をもたなければ一日無意義だということだ。
朝を活かすことから人生は始まる。
(照心語録)

百朝集その63.十反(じゅっぱん)

貴人に十反あり。
夜、当(まさ)に臥すべきに而も飲宴す。早く当に起くべきに而も酔臥す。
心、当に逸すべきに而も労す。身、当に労すべきに而も逸す。
束脩を吝んで、師に請うて子弟を教ふることをせず、而も大銭を以て声妓を雇聘す。
薬餌、病無きに而も服し、病有るも敢えて服せず。
果蔬、新を尚んで、熟するを待たず。
食物、細しきを取り、正味を失ふ。
山水、真境を喜ばずして而して図画を喜ぶ。
器用、金銀を貴ばずして銅磁を貴ぶ。
(倪思『経組堂雑志』)

#森高千里新歌舞伎座

d1021.hatenadiary.jp

#テレビ