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坦々塾・新年の会

西尾先生が仁斎と山本七平をなぞらえて、両者がビジネス文明に追随した形でしか孔子の文献を解釈していない、存在論が欠如している、つまり浅い、ときっぱりとおっしゃるあたり、たいへん面白いと私は思いました。司馬遼太郎山崎正和に対しても西尾先生は批判的ですが、要するに、ビジネス文明に受けがよい形で、儒学に対してにせよ歴史に対してにせよ、薄められたことしか語らない思想家を先生は概して非常に嫌われているのだなあ、と妙に納得する思いを感じました。

かつて江藤淳は「ユダの季節」という論文で、「左翼とは何であるか?」という問いについて、「徒党」と「私語」という言葉を使い、人格論から「左翼とは何であるか?」を説明しました

「徒党」=同して和せず。
「悪党」とはいうが、「善党」とはいわない。悪人は一人でも徒党を組む性質を有している。

 何でもかんでもかまわないので、日本という国を否定するテーマを選び「徒党」を組む。そして「徒党」の中でもちあげあい、かつ相互検閲して、彼らの中だけしか通用しない「私語」を語り合う。やがてその「徒党」と「私語」を国民的に拡大しようとする陰謀ならぬ陽謀をたくらむ。

「左翼」は実は「人格」の問題である

最近は、ポストモダンに移行して、相手に合わせて価値を相対化している。
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