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『この国を思う』
P9

 日本の現状は、いよいよ経済も政治も教育も文化も何もかも、一切もうごまかしのきかない大詰めに到達したようです。これを何とか打開しなければ、日本は自ら崩壊しさることは明療です。歴史の体験と人間の理性とが虚偽でないかぎり、日本がこのまま無事に済まぬことぐらいは誰でも常識のあるかぎり分かることです。そこで誰しも考えることは、一体どうしてこんなことになってしまったのか、一体これをどうしたらよいかということです。
 われわれ日本人は明治以来えらく、それこそ世界の奇蹟などといわれては大層な進歩繁栄したもののように、いつの間にか自惚れておったのですが、実はその間にとんでもない抜かりが沢山あったのであります。特に一番大切な精神に大油断がありましたあらゆる行詰りは究竟するところ、この精神の行詰りに外ならぬのですが、これがなかなか気づかないものなのです。

P16

すなわちマルクスなどは明らかに経済機構というものが人生の基礎建築であって、学校、教会、組合、あるいは色々な法律、礼儀、慣習、その他一切の理念、文化というようなものは経済機構の上に建てらるべき上層建築である。だからまず以て経済生活の問題を解決しなければならないというようなことを『経済学批判序説』にも論じております。この思想が日本人をも盲目的に賛成せしめた。外国人も後に段々精神的に反省するようになってからは、これに向かって妥当なまた痛切な、批判を加えるようになりました。
 たとえば社会学者の中にも次のようなことを指摘する者もありました。資本主義が攻撃非難の的になっておるが、一体資本主義のどこが悪いかといえば、結局少数の資本家階級あるいはそれに従属するところの生活者が人生の第一義を金融的成功に置く、平たい言葉で言えば金儲け第一主義。そうしてその金回りのよい連中はそれを自分の特権あるいは自分の誇りの如く心得て、それで低級な贅沢を恣(ほしいまま)にする。
 ところが人間の心理というのは人格的の優越でさえとにかく嫉視を招き易いものであって、況んや物質的の成功、ことに多数の者から非常に飛び抜けた少数者の贅沢というようなものは民衆を刺激して大多数の民衆をやはり自分達もああいうふうな生活をしたいものだ。ああいうふうになりたいものだという功利主義、物質万能主義、金融的成功第一主義に駆り立てる。しかもそれが出来ない。近代社会機構、経済機構の中に含まれるところの諸種の矛盾撞着等のために段々貧富の懸隔が甚しくなる。そこで大多数が絶望に陥るということになって来ると、その連中の猜疑羨望というものが非常にひねくれて行く。そして階級的な反感が煽られ、それに理論がつき、運動が起こり、結局階級闘争が激化し、世界を無秩序と動乱に導いてしまう。これが悪いのだ。
 つまり資本主義が悪いということは、何も資本が悪いのでもなく、必ずしもその機構に、欠陥があるものでもなく、実は突き詰めて見れば、その少数資本家階級、またはそれに従属して生活する人々の精神に在るというのであります(エルウッド氏社会問題論のごとき)。
 すでに第一次ヨーロッパ大戦争に際して日本人がいわば漁夫の利を占め、農村の隅々まで泡沫的な好景気が行き渡った。この時分から、誰も一身の利害というようなものを超越せぬまでもそれを軽んじて、そうして人生の最も高貴な感激のある仕事に身を挺して就くというふうな気分など全く衰えたことは否むべからざる事実であります。この時代に生活し、この時代の教養を受けた者は皆赤か桃色か位の相違でありまして、多少ともこの空気に感染しておらぬ者はない。

P20

 この自由主義も、これを理論的に細かく論ずれば色々な系統もあり、議論もありますが、根本的に申しますと、前のデモクラシーと同じように、人間に人格の権威というものを認めて、われわれいやしくも人格を有する者である限り、一切他律的な力に強制圧迫されて心ならぬ行動をするというが如きことは屈辱であって、人間は飽くまでも自己の良心に従って、自己の判断、自己の人格の自主性に基づいて行動しなければならない。自分の厳粛な良心、至上命令に従って自らを律する生活をする。これが本当の自由というものである。なんら他の力に強制されて心にもない行動をするのではない、自らの中に第一原因を有して、自律的に行動し、自分で責任をとる、これが自由主義の原則であります。それならば古今東西に変わらない厳粛な真理であります。
 その自由主義がデモクラシー同様妙に変質され歪曲されて、およそ自己の良心とかあるいは自己の至上命令というものからは離れて、何でも自分に圧迫強制を感じさせるものすべてこれを自由の敵であるというふうに考えた、つまり束縛されたり強制されることのない状態に自己を置くことを以て自由であるというふうに考え、その結果は当然本能の解放、あらゆる伝統的道徳の否認、それから国法、国権というものに対する反感、こういう空気、こういう気分、思想が非常に世の中に漲ったのであります。

P43

 イギリス保守党の名相ジスレリーが、保守 conservative の意味を「維持し、改造すること」、時務に応じて国政をよく維持し、改造してゆくこととし、自分の使命はその保守党を国民に魅力のある政党にすることだ。自分は悪を去ることにおいてはラディカルである、急進的であるが、善いものを保つことにおいては保守的であるといっております。これでなくてはいけません。本来保守党というものは国民大多数から魅力のあるものでなくてはなりません。良い保守党がなければ国は危い。しかるにそうゆかないのは、何か保守党に非常に欠陥があるに相違ない