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【昭和正論座】劇作・評論家 福田恆存 昭和50年5月19日掲載

 大抵の国民は次善の人物どころか、七善八善の人物を選ばされていながら、それを次善と思い込まされている。

 戦前の大日本帝国憲法を欠陥憲法と言い得る自由は、閣僚はもとより国民にも全く無かった。自由が無いばかりでなく、そんな事を口に出したら、身辺に危険が及んだ。戦後の新憲法はそういう事の無いようにというのが、その制定の根本的動機であり、他の如何なる点に欠陥があろうと、それだけは長所として認めねばならぬ、少なくとも私はそう観念している。

私は大江健三郎氏に向かって「あなたは今の憲法を擁護すると言うが、第三条はどうか、天皇を国民統合の象徴として認めるのか」と問いただしたところ、氏は沈黙して何も答えなかった。

護憲派憲法と言えば前文と第九条だけと思い込んでおり、その点は改憲論者も同様らしく、従って、両者の衝突は意地と面子のための不毛な論議に終始するだけである。

平和に対する願望は当然であり、それは「人類普遍の原理」であると言ってもよい。が、希望的観測と現実とは異なる。

憲法の権威を失墜させているのは護憲派なのである

進歩的、反動的というのはあくまで一見であり、その一見の元凶は風潮、流行というものであって、それが絶対の権威者、権力者という事になり、国民はもとより政府も閣僚もその操り人形になってしまっているに過ぎない

毎度のことながら本文と解説の言っていることが違う。
思考のレベルが全く違う。
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