このコメントは、捜査機関が裁判員裁判にしたくないのは、職業裁判官であれば状況証拠でも有罪とするが、裁判員だと、状況証拠では無罪にするからだと言いたげである。
本来、刑事裁判は、「無罪推定の原則」、「疑わしきは被告人の利益に」、「10人の真犯人を逃すとも、1人の無辜(むこ)を罰するなかれ」などといわれ、検察官に対し、厳格な証明を求めている。
それは、「合理的疑いを超える証明」、つまり、「通常人であれば誰でも疑いを差しはさまない程度に真実らしいとの確信を得る程度の証明」といわれている。
そうすると、厳格な証明が必要なのだから、職業裁判官のほうが証拠の評価が厳しく無罪にする傾向があり、他方、素人の裁判員はテレビのワイドショーなどに影響され、安易に証拠の評価をし、有罪にする傾向があると一般には考えられる。
しかし、土本元検事は、そうではなく、刑事裁判官は、判断が甘いと考えているようである。
その原因については、「同じ検察官が毎日、同じ裁判官の法廷にかかる事件を担当するので、検察官に厳しい判決を出しづらい」、「日本は99%有罪なので、無罪判決を書くのに勇気がいる」、「判検交流(裁判官が一時検察官になったり、その逆もある)が盛んだから」など、世上いろいろ言われている。
刑事法の権威で東京大学総長になった故平野龍一教授は、1985年、「わが国の刑事裁判はかなり絶望的である」と書いている(『現行刑事訴訟の診断』団藤重光博士古希祝賀論文集第4巻)が、いまだに刑事裁判は絶望的なのである。
しかし、裁判員制度では、裁判官による公開法廷での説示はなされず、評議の中で裁判官が裁判員に説明を行う(裁判員法39条)ことになっている。密室でどのような説明がなされるかを知ることもできない。 最高裁は、裁判官から裁判員への 「説明例」を公表したが、無罪推定、「疑わしきは被告人の利益に」の原則へ言及が全くない――。
それどころか、この「説明例」の 「基本的考え方」と題した解説には、「合理的な疑いを超えた証明という用語や意義の説明は、裁判員の理解が得られにくく得策ではない」とある。