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『運命を開く』
P178

 私は先日、久しぶりに、大阪と奈良との間の脊梁山脈の中にある、有名な生駒山上に一宿しました。そこに宝山寺という名高い真言のお寺があります。徳川前期にこの宝山寺を開いた「湛海」という和尚、これは哲人であるとともに、なかなか芸術家でありました。特に彫刻に長け、この人のいろいろの仏像が祀られてあります。その中に不動明王があります。湛海和尚は不動明王に祈念を凝らした。この人は、たいへん美男子だったそうで、したがって女に好かれて困った。
 大体、大丈夫は女に好かれるようではいけない。これは普通の人間の考えと反対ですが、大いに意味があります。そもそも大丈夫は、それくらいの気概がなければならない。男と生まれて、金を欲しがったり、名誉を欲しがったり、地位を欲しがったり、女を欲しがったりするようでは、逆に言うと、そんなものに取りつかれるようでは、まだ器量が小さい。金や地位で男になるようなのは、まだ本当の男ではない。そんなものは皆、人に任せて、露堂々と世に立てるこそ真の大丈夫です。いい加減な女に追いかけられるようではだめだと、確かに言えることです。
 女も同じ。つまらぬ男に好かれるようではだめ。
 湛海和尚は不動明王を祈念して、「一刀三礼」、即ち刀を振るうごとに三礼をこめて、不動明王を刻んだ。不動明王大日如来の一化身、使徒で、大日如来、即ち毘蘆遮那仏、日本神道でいえば天照大神です。日の仏です。だから大日如来という。この大日如来の精神・教令を奉行するために、これを妨げる悪魔を降伏する、憤怒の形相、私憤でない公憤・道憤の形相をとって現れたものが不動明王であります。もろもろの悪魔を脚下に踏み据えて、あの猛々しい相を現じております。「不動明王経」というお経があります。実に痛快なもので、惰気を一掃することができます。
 和尚は、かくて年月たつほどに、生身がそのままに不動明王のような威厳を具現するようになった。湛海和尚が姿を正して人に臨まれると、接する者が猛火に焼かれるような衝撃を受けた。ある時、宮中に参内されたら、かねて懸想しておった女官がひそかに恋文を渡そうとして近寄ったが、猛火に焼かれるように感じて、進めなかったという話も伝わっております。さもあろうと思われます。
 人間は慈悲柔和の権化にもなるし、そういう大威力を体現することもできます。これを人間の念力といいます。