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NHK 番組表 クローズアップ現代「無頼棋士の遺(のこ)した言葉」

村川大介 五段
まあその勉強してない人は、その、碁を見ればすぐわかるんだという。ぼくそのときあんまり勉強してなかったんですごい叱られて、なんか見透かされてるような感じでというか、まあやっぱりわかるんだなというような感じに思いました。

碁には人間性が出ると考えた藤沢さんは、毎朝5時から碁盤に向かい、さらに、あらゆる分野の本をむさぼり読んで自分を磨きました。

妻 モトさん
碁だけ勉強してもダメ。中身がないんじゃダメだと。やっぱり一流の人と戦って上に出るということは何の世界でもそうでしょ。なかなかね、普通じゃ出来ませんよね。

秀行塾で特に重視されたのが逃げない姿勢でした。

高尾紳路 九段
定石じゃなくても自分でこう一生懸命考えて打った手は、ま、それが悪い手であったとしても高尾が一生懸命考えて打った手だから、俺はそれを非難はしないと。

「屈屈伸」。

武宮正樹
まあ秀行先生は、あのう、ま、碁の技術、ていうか、手の良し悪していうんですか、えー、ていうことも勿論指摘するわけですけども、ま、それよりも、あのう、その人が、えー、どういう気持ちでその一手を打ったか、ていうことに対してですね、まあ秀行先生は瞬間的にその人が何を考えているのかとか、どういう気持ちで打ったのかとかいうのは瞬時にその手を見たときに感じるわけですよね。ですから心無い手を打ったときに物凄い烈火の如く怒るわけですよね。反対にその悪そうな手であっても、その、なんていうのかな、その人がその、こういう気持ちで打ったんだとか、そこに美しさがあれば、先生は逆に褒めてくれたりもしたわけですよね。ですから、良い悪いというよりも、その人がどういう気持ちで、なんかこう、心になんか、こう、貧相なというか、あの、卑怯なというか、そういうような、逃げ腰とか、そういう臆病なとかそういうような手が、先生がその手を見たときに感じられると、物凄く怒ったんですよね。
国谷裕子
でもやはりプロですから、勝負師として勝たないといけないわけですよね。ですからそのう、プロとしては一手を考えるときに、やはりその勝負として・・・。
武宮正樹
ところが、秀行先生ていうのは、まあ昔からそうだったんですけど。ま、碁は勝負の世界。いわゆる勝負の世界ですよね。勝ち負けがあるんですけども、勝負に拘ってはいけないといつも言っていたんですよね。で、勝ちとか負けじゃなくて、「碁は芸だ」と仰ってたんですよね。ですから、「腕を磨け」、「人間を磨け」と。ですから、勝ちたい勝ちたいとか、そういう卑しい根性ていうんですか、そういうのが着手に現れてたりするともうすぐに先生は敏感に感じられて、非常にあのう、弟子たちを叱りつけたり、しましたねえ。
国谷裕子
碁盤の上で大事にされていたっていうのは何だったんですか?
武宮正樹
無限なので、わかるわけないっていうんですか、良いか悪いかっていうのは、ある意味。ところがそのう、弟子たちが打たれた手でも、美しいか美しくないかっていうのは先生感じるわけですよ。ですから、秀行先生自身が、もう純粋な生まれたまんまのような人だったですから、そのう、特に敏感だったんだと思うんですけど、美しさがない手を見たときには物凄く、先生は、怒ったですねえ。

韓国棋院 九段 チョ・フニョン
中国とか韓国、関係ないですよ。俺は才能あるのは、碁の才能ある奴は教えてあげたいし、教えにこいっちょ。
個人じゃなくて、国じゃなくて、他のためになるっちゅうわけで、あの、見る目が違うわけですよ。スケールも違うし・・・。

妻 モトさん
自分のことは、まあさておいて、何とか若い人を、あのう、強いのを出したいと。それだけが念願だったみたいですねえ。最後まで。ホントに自分を磨きたかったんじゃないかと思うんですよねぇ。

武宮正樹
信じられないですね。もう亡くなる間際に書かれたんですけどねぇ。凄い迫力のある字ですよね。
うーん、やっぱり「強烈な努力」。努力するのは当たり前。生半可な努力じゃとてもじゃないけどダメだと。「強烈な努力」っていう先生のメッセージですよねぇ。まああのう、ま、碁っていうのは技術だけでは勝てない。いつも昔から先生言われてたけど、「常に人間を磨け」と。「心を磨け」と。いうことを言ってらっしゃって、それはあのう、どんなに技術があっても碁は勝てないんですねえ。というのは、真剣勝負なんですよね、碁も。で、真剣勝負でそのう、相手の真剣が目の前にこう来たときにですねえ、切先が。そのときにでも平然としてなくちゃいけない。心が動いたり乱されたらそこで負けちゃうわけですよね。で、碁もいくら技術があっても、どんな、碁っていうのは常に未知の世界に入りますから、そのときに堂々といかに自分をそのまんま自分の気持ちを盤上にぶつけられるか、勇気をもって一手一手打てるかっていうのが勝負なんですよ。ですから、その、いかに力があってもダメだ。人間を磨いてないとどんな碁でも勝てないわけですよね。だから逆に言えば、どんな碁でも勝つことが出来るかもしれない。と、そういう碁というものなので、日頃から先生は常に「心を磨け」「人間を磨け」ということを仰ってましたね。
心の美しさというか、それが全て。それがホントの碁に対する愛情っていうんですかね。それが、先生がみんなに伝えたかったんだと思いますねえ。
だから、先生はホントに碁は普段の生き様が大事なんだと、仰ってて、でも先生は生き様も真剣に生きて一生終えられたというそういう感じですよね。

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