https://d1021.hatenadiary.com
http://d1021.hatenablog.com

水木 楊 「国民」という言葉の不遜

 新聞が社会の木鐸であることに変わりはありませんが、ジャーナリストが「国民のため」を称して自ら天下国家を論じることは、よほど慎重でなければなりません。なぜなら国民は前述したように多種多様であり、いろいろな考え方をした人々がいるからです。

 新聞が社会の木鐸たりうるのは、事実をできるだけ客観的に報道し読者に判断の材料を提供するからです。その上に立って、主義主張を展開するときは、あくまでも「国民」ではなく、「私たちはこう思う」と表現すべきでしょう。

 私たち読者が求めるのは、肩をそびやかしたジャーナリストではなく、地道な調査と分析を重ね、独自の切り口を教えてくれる思慮深いジャーナリストなのですから。