主人公たちの目指すものが「みんなのため(義)」か「自分の欲望(私)」か、という相違だ。
愚公(ぐこう:おろかなじいさん)という90歳にもなろうとする老人が、この2つの大山の麓に住んでいたが、反対側に抜けるのに、いつも大変な苦労をしていた。そこである日、家族を集めてこう相談した。
「どうだい、みんなで協力して、高い山を削って平らにし、北の方に開ける道をつくろうじゃないか」
この話を聞いて、河曲に住む智叟(ちそう:利口なじいさん)が、愚公を止めようとして、こう言った。
「お前、ホントに馬鹿だね。余命を考えれば、山の草一本でさえ抜けるかどうか怪しいものだ。ましてや、土や石を掘るなど、どうしようっていうんだい」
北山(ほくざん)の愚公はため息をつきながら、こう言った。
「お前の凝り固まった考えって奴は、どうにもできんものだのう。やもめや幼児ですら、まだましなくらいだ。
わしが死んでも子供がいる。子供からは孫が生まれ、その孫にはまた子供が、さらにその子供、孫と子孫は絶えることなく続いていく。ところがどうだい、山はあれ以上高くならない。どうしたって平らにできないわけがないだろう」
智叟は言い返すことができなかった。
経緯を聞いた天の神様は、愚公の心意気に感じ入ってしまい、使いの者をやって、2つの山を動かしてやった――。