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「脱官僚」が看板倒れだというのは本当か?── 天下りの定義をめぐるマスコミの迷妄

天下りに関して定義不明のまま迷走しているのは、むしろマスコミのほうである。

 プロイセンビスマルク体制をモデルとしたこのシステムは、発展途上国=日本が欧米列強による干渉や侵略を防ぎつつ、急速に産業国家として成り上がって「追いつき追い越せ」を達成するための官僚社会主義的な総動員体制としてはまことに有効であったとはいうものの、1980年に前後してこの国が米国に次ぐ世界第2の成熟経済大国の座を得たからには、内発的にそのシステムを解除して、先進国と呼ばれるに相応しく、国民の投票によって選ばれた「国権の最高機関」(憲法第41条)たる国会が国策を決定し、その国会から行政部のトップに進駐する首相・内閣が、「行政権は内閣に属する」(第65条)との規定に忠実に従って官僚体制を支配するよう、抜本的に変革されなければならなかった。

今「内発的に」と言ったが、日本人が自らこのシステム改革を成し遂げられなかったために、それに付け込む形で米国から主として経済面から様々な「対日要求」が突きつけられた。そのため、後に小泉=竹中が(部分的・擬似的にではあったが)「改革」に取り組もうとした時に、主として守旧派から「米国に国を売り渡すのか」といったハゲタカ論型の反発が生まれた。しかしそれは倒錯で、米国から言われようと言われまいと、日本は改革に踏み出さねばならなかった。それが政権交代によって今ようやく始まったのである。

 この「脱官僚体制」作業は、「反官僚(体制・個人)」になってしまったのではダイナミックな展開が難しい。逆に官僚体制の内部やOBたちの間に守旧派と改革派の亀裂を拡大して味方となる改革派を増やして行くことこそが成功の鍵である。

 坂本竜馬は倒幕の最後の段階で「維新革命に一滴の血も流すなと言い、鳥羽伏見の戦いの勃発を極力避けようとした。『幕府みなごろし』を腹中に入れつつ、一滴の血を流さずすべてを生かして新国家に参加させようとしたのだろう」(司馬遼太郎『竜馬が行く』第4巻)。皆殺しにするのは幕藩体制であって、佐幕派個々人ではない。そこが、人を殺せば世の中が変わると思って刀を振り回すばかりだった並みの志士たちと竜馬の違うところで、それがつまりはただのテロリストと真の革命家との違いである。

ケケナカ教授が指摘している手続きの問題は、一人会社でオーナーが実質的に替わったのだから問題ない。