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「法と経済」からみた中央銀行(日本銀行総裁 白川 方明)(pdf)

日本銀行の白川です。私は、今日、この法学部の教壇に立っていますが、随分と遠回りをして、この教室にいるような気がしています。と申しますのは、私は、1968年に大学に入学した際には、法学部進学のコースに属していたのですが、どうしても法律に興味を持てずに、経済学部に進みました。したがって、学生時代には一度も法学部の教室に足を踏み入れたことはありませんでした。それだけに、それからほぼ40年を経て、この場にいるということには、非常に感慨深いものがあります。 ただ、物理的にはともかく、私自身の意識の中では、もう少し前から、法律の世界に入っていたようにも感じています。日本銀行の仕事は、学問分野で言えば経済学を使うことが多いというイメージだと思いますが、法律の知識やいわゆるリーガルマインドを必要とする仕事もたくさんあります。私自身、現在の職務に就く前の34年余りの日本銀行での生活の中で、金融政策や調査・研究のほか、金融市場や決済システム、金融機関の破綻処理など、様々な仕事を経験しましたが、その際、経済学だけでなく、法律の知識の必要性を痛感しました。そこで、本日は、「法と経済」という観点から、中央銀行の役割について、お話したいと思います。

中央銀行の仕事を一言で表現しようとすれば、「お金を発行し、そのお金を人々が安心して使えるようにすること」です。

現在起きていることは、この「行き過ぎ」が巻き戻されていく過程、「バブル」の崩壊過程です。

こうした現象の本質を一言で言うとすれば、「信頼の崩壊」です。金融取引は、信頼で成り立っています。単純な売買契約を考えても、様々なリスクが存在します。まず第1に、相手がしっかりとした財務内容を持ち倒産することはないかどうかという信用リスクが挙げられます。第2に、買い手が支払いに必要な資金を確保できるかどうかという流動性リスクが挙げられます。第3に、契約の条件どおりに商品や代金を引き渡す、つまり取りはぐれたりすることなく、決済できるかどうかという決済リスクが挙げられます。こうしたリスクが大きいと感じると、危なくて取引関係を結べません。特に、金融取引は、金額が大きく、内容も複雑なことが多いので、金融機関が、こうしたリスクを強く意識するようになると、通常のようには取引をできなくなってしまいます。金融取引が滞ると、企業や個人の経済活動にとって必要な資金が、行き渡らなくなり、経済活動はさらに停滞することになります。

まず、法学部の授業らしく、法律の条文から入りたいと思います。日本銀行法には日本銀行券は、法貨として無制限に通用する」(第46条2項)という条文があります(図表13)。この規定があるので、銀行券を渡すことは、皆さんが民法で習った「債務の本旨弁済」になります。債務者が日本銀行券を弁済として提供したら、債権者は受領しなければなりません。その意味で、この条文は重要です。

もっとも、この条文があったとしても、実際の取引に日本銀行券が使われるとは限りません。契約自由の原則のもとで、契約を結ぶかどうかは個人の自由です。売り手が日本銀行券が対価では物を売りたくないと思えば、そもそも売買契約は成立しませんので、日本銀行券は取引に使われません。

こうしたことは、主要国ではあまり起こりませんが、例えば外国を旅行しているとき、現地通貨で物を買おうとして、売ってくれないとか、ドルにして欲しいと言われた、といった経験をお持ちの方も多いと思います。しかし、その場合でも、その現地通貨は、法律的には通用力を認められたものだろうと思いますが、人々が安心して受け取りたくないような通貨だったと考えられます。

中央銀行の使命は、こうしたことが起こらないようにすることです。もう少し硬い言葉で表現すると、「通貨の安定」を実現することが中央銀行の使命です。これを分解して言うと、第1の、そして最も根源的な仕事は、銀行券を発行し、偽札やきたないお札が流通しないようにきちんと管理することです。第2の仕事は、物価を安定させることです。物価が大きく変動すると、合理的な経済計算が難しくなり、資源配分の効率性が損なわれるので、経済の成長は阻害されますし、そもそも社会の安定も脅かされます。そして第3の仕事は、金融システムの安定を維持することです。預金取り付けが起こるとか金融市場で取引が行われなくなるというのは、金融システムの安定が損なわれた事態ですが、そうした事態がいかに深刻な影響をもたらすかは先ほど説明した通りです。こうした仕事を通じて、経済活動に必要なお金が世の中の隅々まで行き渡るようにするというのが、中央銀行の使命です。これを一言でいえば、「人々がお金を安心して使えるようにする」、すなわち、「通貨の安定」ということです。

このような中央銀行の使命は皆さんもこれまでに教科書で読んだり、漠然と理解していることだと思いますが、中央銀行の使命をより深く正確に理解して頂くために、以下では二つのことを強調したいと思います。

第1は中央銀行に対する信認の重要性です。

第2は、中央銀行は通貨の安定というパブリックな目的を実現する際、法律や行政命令ではなく、市場での取引を通じてこの目的を実践するということです。

以上のことを申し上げた上で、中央銀行がその使命を果たすために、法律あるいはリーガルマインドはどのような形で役立っているのでしょうか。以下では、3つの論点を挙げてお話します。

最初の論点は、公法上の論点ですが、「民主主義と中央銀行の独立性」の問題です。

人間は短期的な利害に囚われやすい弱い存在ですが、同時に、そうした弱さを自覚するが故に、中長期的にみて望ましくない事態を回避する仕組みを予め組み込む知恵も備えています。これが、中長期的な視野に立ち専門的な知識に基づいて判断する組織に金融政策の運営を委ねるという、中央銀行の独立性という考え方です6。勿論、独立性といっても、無限定の独立性は存在しません。中央銀行法で中央銀行の目的を明確に規定すると同時に、民主主義的な手続きを経て、総裁をはじめ中央銀行の役員が任命されます。また、中央銀行による政策決定のプロセスを明らかにすることが法律で求められています。

例えば、先ほどお話したCPの買入れについて言えば、中央銀行が金融市場全体への流動性供給という領域を超えて、個別の民間企業の信用リスクを負担することの是非が問題となりました。仮に発行企業が倒産すれば、日本銀行が損失を被り、ひいては納税者の負担になります。そうした手段は、財政政策として、民主主義の意思決定過程に沿って国会・政府が行うべきではないか、という疑問が当然生じます。この点については、私たちも真剣な議論を重ねました。まず、実行の是非については、資本市場の機能の著しい低下という異例の状況のもとで、中央銀行としての使命を果たすためには、異例の措置も必要だと考えたことは、先ほど説明したとおりです。その上で、副作用を最小限にするために、制度の設計に注意を払いました。

次に、少し別の角度から、二つ目の法律的な論点をお話します。先ほど、中央銀行は市場での取引を通じて通貨の安定というパブリックな目的を実現するということを申し上げましたが、そのためには、中央銀行が提供するサービスに魅力がなければなりません。そのために、中央銀行は経済・金融環境の変化に合わせて様々な工夫を凝らしていますが、この面で法律の果たしている役割について私法を中心にお話します。

先ほど、外国の国債を担保に資金を供給する仕組み、クロスボーダー担保という仕組みを導入したと説明しました。この仕組みを実現するためには、第1に、物理的に外国に存在する外国国債への担保権の設定について、どの国の法律が適用されるか、という国際私法の問題、第2に、どうやって担保権を設定し、債務不履行が起きたときどうやって担保権を実行するか、という外国の担保法制の問題、第3に、取引先とどういう契約を結べば良いのか、という国際的な金融実務の問題など、クリアしなければならない法律問題は、多数に上りました。各国の法制や実務を調べて、対応を工夫することは、大変ですが、チャレンジングで面白い仕事です。

法律的な論点の最後に取り上げたいのは、金融システムの安定に法律が果たしている役割、その中でも、特に国際的な側面についてです。金融システムの安定を守ることは、個々の金融機関を破綻させないということと同じではありません。市場経済の中では、他の一般企業と同様、金融機関も経営に失敗すれば、淘汰されることが原則です。経営に失敗しても、政府や中央銀行が救済してくれるという安心感があると、自己規律が失われ、金融機関は過大なリスクを追求する行動に走る結果、金融システムは却って不安定化します。いわゆるモラル・ハザードの問題です。大切なのは、個々の金融機関が倒産しても、ほかの金融機関への影響を最小限にとどめ、金融システムが全体として安定を保つようにすることです。

これまで、「法と経済」という観点から、中央銀行の役割や仕事について、お話してきました。しかし、こうした説明だけでは中央銀行の役割や、金融・経済の安定を実現する上で必要なことを皆さんに十分伝えたことにならないような感じがしています。

私の学生時代の経験から判断して、多分、感覚として最も理解しにくい部分は、「仕事をする」ということの意味ではないかと想像します。

第1は、パブリックな仕事の意義です。

こうした仕事は時として不人気なものとならざるを得ませんが、経済の持続的な発展を実現するためには、誰かがそうしたパブリックな仕事を担わなければなりません。

第2は、幅広い知識の重要性です。冒頭で私自身の個人的な経験を話しましたが、36年間の中央銀行での経験を経て、法律と経済学の知識のどちらが重要であったかと問われれば、中央銀行の仕事には、法律の知識も経済学の知識も、そしてさらに幅広い分野の知識が必要であるというごく常識的な結論に辿り着いています。

経済学の真骨頂は常にインセンティブの観点から人間の行動を厳密に分析することにあると思っています。そうした分析なしには、金融政策の運営や金融規制・監督に関する制度の設計は行えません。しかし、同時に、そうした経済分析に基づく「政策論」がそれを支えるルールや契約について十分な配慮がなされていなければ、現実にワークしません。その意味で、法律的な知識は非常に重要です。

第3は、実務の重要性です。

金利の誘導は、債券や手形の売買、金融機関への貸付けなどの銀行業務を通じて行われます。その際、誰から何をどういう条件で買うのか、どのような期間の資金をいくら供給するのか、そして、決済にはどのような仕組みを用意するのかなど、様々な実務が発生します。政策論を行うとき、実務に関する理解は、不可欠の要素です。

もっとも、同時に、全体感を欠いた政策論が危険だということも意識しなければなりません。現場の情報、ミクロの情報を足し合わせれば、全体がわかるというほど現実は単純ではありませんし、実務だけから政策が判断できるわけでもありません。複雑な現実を理解するためには理論の助けも必要ですし、歴史的な経験を踏まえて、マクロ的に問題の本質に迫ることも重要です。

第4は、組織で仕事をすることの意義ということです。

まず、政策立案の前提となる情勢判断は、ミクロの経済調査や金融面の情報のほか、マクロ的な統計や経済理論による分析で裏付けられています。また、情勢判断をもとに政策を立案する際には、銀行業務を通じてどう実行するかという視点が欠かせません。この一連の過程では、経済、金融、法律、システムなど様々な専門的な知識や経験を持った、多くの人たちが関わることになります。そして、それぞれ仲間の仕事を理解しながら、協力し、一つの政策を作り上げていきます。

ひとりの人間が経験できること、習得できる知識には限りがあります。異なる技能や専門性、経験を持った人々が、協力することで、より大きな成果を上げることができますし、更に、その過程で受ける様々な刺激が将来の問題解決に繋がっていきます。組織が存在することの大きな意義はそうした点にあります。

組織で仕事をすることのもうひとつの意義は、「組織としての記憶(institutional memory)」の重要性に求められます。

この点、国際会議に参加したり海外の中央銀行を訪れていつも感じることは、中央銀行員、セントラルバンカーは、みな「似たもの」を持っていることです。いわば中央銀行のDNAとして、「中長期的な視野に立って考えていること」「市場を大切にする気持ち」「オペレーションや実務に根ざした思考」「組織で政策を作り上げるという風土」などが、共有されているように思います。今回の世界的な金融危機においても、この共通のDNAがあったからこそ、緊密な協力のもと力を合わせて対処することができたと思っています。

第5は、変化への柔軟な対応の重要性です。

約40年前、私が日本銀行に入ることを決めた頃を思い出してみると、日本銀行の仕事についてはほとんど何も知らなかったというのが実態でしたが、その後、日本銀行というパブリックな目的を持つ組織で仕事をすることの面白さや厳しさを何度となく経験しました。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20080317#1205745844
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20090218#1234949255