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わたしたちが「こうなった」のはなぜ? 〜「角」の視点から学ぶニッポン現代史

大都市に集中する富を「社会基盤(インフラ)整備」というパイプを使って地方へ還流させるレールを敷いた政治家こそ、田中角栄でした。

日本列島改造論(1972年、日刊工業新聞社刊)」は、こう宣言しています。

「……都市集中のメリットは、いま明らかにデメリットへ変わった。国民がいまなによりも求めているのは、過密と過疎の同時解消であり、美しく、住みよい国土で将来に不安なく、豊かに暮らしていけることである。そのためには都市集中の本流を大胆に転換して、(中略)工業の全国的な再配置と知識集約化、全国新幹線と高速道路自動車道の建設、情報通信網のネットワークの形成などをテコにして、都市と農村、表日本と裏日本の格差はなくすことができる」

さらには「将来の府県制度のあり方を根本から検討する時期にきている。その場合、新たに広域ブロック単位で国と地方自治体の中間的性格を持つ新しい広域地方団体を設置するのもひとつのアイデアではないか」と、「地方分権道州制」にまで踏み込んでいます。

あけすけに言うと、角栄流の富の再分配は「当たりすぎた」のです。

1960年には、東京都民1人当たりの所得を100とすると、50以下の県が31県もありましたが、75年になると50以下はゼロになっています(出典は『戦後国土計画への証言』下河辺淳著)。

 列島改造論は、大規模工業基地の候補地や本四架橋、新幹線、高速道路網などをどこに作るか(箇所付け)を明示してしまったために、土地投機が過熱し、地価が火の粉をあげて舞い上がりました。交通網・情報網の整備は人・モノ・金・情報の都市集中を加速し、地方は分権自立どころか、中央からのカネを当てに指示に盲従するようになり、そして、富の還流パイプには官僚の天下り組織がへばりつきます。

後継の自民党政権は、成功の味が忘れられず、田中の敷いたレールの上を走りました。

 二度の石油ショックを経て、低成長時代が到来にしたにもかかわらず、政府は地方を交付金補助金漬けにして支配する。地方は、赤字財政を承知で「お上」の言うとおり、上からお金が落ちてくるのを、口を開けて待っている。そこにくっつく官僚の天下り組織もどんどん増える。

田中角栄は、このエネルギー資源確保に対しても、アメリカの世界戦略に仕込まれた「地雷」を踏むのを承知で、挑みました。石油、ウラン資源の獲得をめぐって、アメリカの意向に逆らって、独自に動きました。外交も含めて思い切った行動をとっています。

詳しくは次回でお話ししますが、資源ゲームのプレーヤーは、田中角栄が挑んだ当時と本質的には大きく変わっていません。石油メジャー、資源メジャーの再編・統合はずいぶん進んでいますが、欧州と米国の多国籍企業が中心的存在です。そういうことも含め、これからの日本の選択を考えるうえで、私には、田中角栄の行動が貴重なシミュレーションだったように思えて仕方ないのです。

田中は、建築基準法住宅金融公庫法、建設業法など、われわれの住宅に関する数多くの法律の制定に深く係わり、他の分野も含めて自ら30本以上の議員立法を通しています。

 なぜそれができたかというと、角栄は戦前、戦中にかけて工場を造ったり、住宅もこしらえたり、土建屋としてバリバリキャリアを積んで、現場を知り尽くしていたからです。「現場の知」をよりどころにしていたから、法体系をイメージしやすかった。


 ただし、土建屋、つまり「供給側」の視点だから、日本の建築法規は、ほとんどが業界よりの発想になってしまった。「住み手」の一般生活者の視点が欠落している。これは、今後、大いに改める必要がある、と思っています。

 いずれにしても、田中は「現場の知」と、官僚を巻き込んだ調整力で、あれだけの議員立法を成立させたのでしょう。


 考えてみれば、東京の都市計画の基を築いた後藤新平にしろ、田中角栄にしろ、「家とは、こういうモノだ」というところから、政治的動きを始めているんですよね。

後藤新平田中角栄、さらにいえば金子直吉にも共通しているのは、考え方が非常に具体的なモノから入るところなんですよ。理念的に国家とは何か、なんて考えない。

 後藤でいえば、国民が街に集まり、安全に暮らすには衛生を保ち、健康を守ることが重要だ、と気づく。よい衛生状態を維持するには、上下水道をしっかり完備し、伝染病の侵入路を断たねばならない。そのためには上下水道や道路を合理的に配置する都市計画が必要だ、となる。かなり国益志向的な部分がありますよね。ここで言う国益というのは、ナショナリズムの発露ではなくて、具体的なモノを通していかに生活の基盤を構築するか。

いきなり「天下国家」を抽象的に論じるよりも、生活の最前線で現実にぶち当たるほうが重要。そういう意識は、政治家として、また人間としてとても大事なことなんじゃないでしょうか。

 政治家もそうかもしれませんが、私たちを含めてメディアに係わる者にいま一番足りない部分もそこかもしれません。バーチャルな目線、高層ビルの屋上から世間を見る、みたいな感じになっちゃっている。そんな危惧を感じますね。

 大切なのは、生活の現場をよりどころに、その奥の閉鎖的な社会構造や、国際関係を含めた歪んだ利権構造を射抜き、それを改めるには何が必要なのか。次の世代に生活を継承するには何が求められているのか。時代の本質的ニーズとは何か。そこを書かなくては、と自戒する日々です。想像力を鍛えなくちゃいけませんね。

田中角栄 封じられた資源戦略

田中角栄 封じられた資源戦略


http://d.hatena.ne.jp/d1021/20091213#1260699763
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20091005#1254710131
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20080714#1216039459
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20091208#1260226618