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教育の改革は火急の問題 - 松本徹三

私は早速アメリカ本社に電話をして、友人にその旨伝えると、彼は首をひねり、こう言いました。


「何故なんだ? 受けるだけ受けてみたらいいじゃあないか。もともと、あの質問には『正解』なんていうものはない。何かについての知識を問うているわけでもない。自分は、相手との会話の中から、『基本的な物の考え方』とか、『論理の筋道の立て方』、『問題解決への方策の探し方』、更には『人間性』等を感じ取ろうとしているのだ。博士レベルの人間を採用する時にはいつもやっていることだし、現実に後の仕事ぶりを見ていると、このやり方を通して私が判断したことが、概ね正しかったことも証明されている。」


私は「成る程」と思い、この学生さんにそのまま伝えましたが、残念ながら、彼の考えは全く変わりませんでした。「自信がない」の一辺倒で、「そういうことが問われる世界には入って行きたくない」という気持すら感じ取れました。

私がイタリア人の友人にしたアドバイスは、「日本の基準での優等生になることを息子さんに求めるのは意味がない。日本(更に出来れば、中国、韓国を含めた「東洋」)と欧州の両方の文化(価値観)を理解する人間になることを目指せば、そういう人間を求める仕事に将来必ず出会える筈だ」ということでしたが、それでは、そういう人間を育てられる場がどこにあるのかと問われれば、口をつぐまざるを得ませんでした。しかし、それは、そのまま、日本の若者達の為にも答えてやらなければならない問いだったのだと思います。


画一的な価値観ではなく、多様な価値観に支えられた教育。それぞれの人間の多種多様な興味を尊重し、それを育てていくような教育。表面的なものではなく、真に自らが誇れる「実力(競争力)」を身につけられる教育。そういう教育こそを、日本の若者達の為に、我々はこれから作り出していかなければならないのではないでしょうか。

我々の世代は、若い人達に対して、実は「問題だらけの教育」しか与えてやれておらず、しかもその一方で、厖大な借金を残していこうとしているのです。今のままでは、彼等の能力が、近隣諸国の人達の能力に比べて、将来とも競争力を持てるという保証は全くありません。彼等の生活水準が、近隣諸国の生活水準と比べて、より高いものであり続けるという保証もありません。これは、我々としては、何とも情けなく、恥ずかしいことではないでしょうか。

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