2010-06-13 ■ 政治 歴史 政治 歴史 【一服どうぞ】裏千家前家元・千玄室 観光行政の重要さ 千利休は側近の一人として、この野望を何とか止めようと大納言秀長とともに牽制(けんせい)するのだが、石田三成や小西行長などの独走でままならず、大徳寺山門建立などにより、謀反ありとの理由で切腹を命じられた。隣国と一体化となるための大きな心で政策を進めていたら、今ごろの日本はもっと立場が良くなっていたことであろう。