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新司法試験合格発表・雑感

受験生は、数多くの論点を「潰す」ことが必要です。しかし、A説・B説を暗記するやり方では、到底、新司法試験には対処できません。


多くの論点を潰すことに加えて、数は少しで良いので、深く勉強することも必要です。

この作業を行うときには、裁判例や事例問題を題材として行うのが有益です。事案への当てはめをあまり考えずに、抽象的に学説の良し悪しを論じる訓練は、新司法試験ではあまり役に立ちません。

つまり、当該論点にしか役に立たない言い回し・キーワードを覚えることもそれなりに必要ですが、他の論点でも応用できそうな「法律的なものの考え方、問題へのアプローチの仕方」(まず条文を探すところから始まって、まず文言をしっかりと読んで・・・みたいなこと)を論点学習を通じて習得することが必要で、その際に、メタ(高次元)の視点を持つことが有益なんじゃないか、ってことです。


たとえば、ある紛争を念頭に置いてある解釈論を支持したいという気持ちになったときに、果たしてそのルールを採用すると、将来に却って紛争を増加させてしまうのではないか、(事後の問題解決には適しているかもしれないが、今後そのルールを見て行動する人のことを考えると、事前のルールとして見るとあまり良いルールとはいえないのではないか)、等々の視点を持つことも大切です。

私は、ここ10年ほど、マスコミの報道などに代表される日本の公的な文章の「文章力」は低下の一途をたどっているのではないかと思います。

問題的思考と体系的思考。
具体的妥当性と法的安定性。


法的三段論法とリーガルマインド
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20090828#1251413070
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20080619#1213855731
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20090519#1242695912


日本をダメにした10の裁判

法律学者一般にいえる通弊ですが、ものごとを判決文に書かれたことだけで理解し、というよりほとんど下線の引かれた判旨の部分だけで理解し、ごじゃごじゃとした部分を切り捨てて綺麗な議論を組み立ててしまいがちで、如何なる法理も限りなく複雑な現実に一定の解決を与えるために創出されたものであるにもかかわらず、それをあたかも万古普遍の真理であるかの如く考えて違う現実にむげに当てはめようとするという悪い傾向がないとはいえないわけですが、法理の生み出された現場に帰ってそのごじゃごじゃしたものを見ることで、そういう「法解釈学教科書嫁症候群」からいささかでも身を引きはがすことができるのではないか

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20090203#1233618675