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仙谷由人研究(1)「ピンク色の官房長官」

 仙谷と東大のドイツ語の授業で机を並べた旧友であり、現在は内閣官房参与として外交ブレーンを務める松本健一は昭和50年代半ばのある夜、仙谷との会食中にこう打ち明けられた。


 「おれ、転向しちゃったよ」


 どういう意味かと松本が尋ねると、仙谷は「われわれの時代は(主流の作家は)大江健三郎だっただろう。司馬遼太郎に転向しちゃった」と答えた。

 「人間の頭は、20代ででき上がっちゃっている。それ以上は発達しない」


 松本は仙谷の柔軟性を指摘しつつもこう語った。

 「資本主義と社会主義のどちらを選択するか。この問題は、ベルリンの壁の崩壊で一気に勝負がついた」


 仙谷は7月の日本外国特派員協会での講演でこう振り返った。仙谷は壁崩壊の翌年、平成2年の衆院選社会党から初当選する。講演ではこう続けた。


 「そのときに考えたのは、絶対主義から相対主義というか、『主義者』にはならないことだ」


 「政治をやる以上は多数派形成をやる。『孤立を恐れて連帯を求める』というふうに変えないと政治家として意味がないだろう」

 社会主義の敗北を認め、「主義」と決別したのであれば、なぜ社会主義を標(ひょう)榜(ぼう)する政党からの出馬なのか。昭和50年代、自民党衆院議員の秘書をしていた中学時代の同級生が「自民党福田派から出ないか」と誘ったところ、仙谷はこう断ったという。


 「いきなり百八十度は豹(ひょう)変(へん)できないよ」

 だが、左翼的発想の限界に気付いていたはずの仙谷氏の実際はどうか。

 個人の思想・信条、生き方であればそれもいい。だが、国難の時代に、中途半端な「総括」しかできなかった「ピンク色の官房長官」が果たしてふさわしいのだろうか。

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