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「日本一新運動」の原点(31) ── 岡田幹事長の政治感性は正気か?

 海部首相が退陣し、宮沢喜一氏が首相に就任し「政治改革」を公約するが、その最中に、竹下経世会は分裂する。


 マスコミは「小渕と小沢による、猿山のボス争い」と酷評したが、真実は「政治改革をめぐる理念」の闘いであった。改革を主張する羽田孜小沢一郎らが、経世会を離脱し「改革フォーラム21」を結成することになるが、それまで参議院で無所属でいた私も参加した。


 平成5年6月、宮沢内閣は公約した「政治改革」を放棄する。「改革フォーラム21」に所属する衆議院議員は、野党提出の、「宮沢内閣不信任決議案」に賛成し、可決となり衆議院は解散となる。そして「改革フォーラム21」の四十名の衆参国会議員が、全員で新生党を結成した。そして非自民細川連立政権樹立の主役を果たすことになる。


 平成6年6月、非自民細川連立政権は崩壊し、自社さ政権が成立する。それに対抗して同年12月に「新進党」が結成される。