政権に対する世間の厳しい目を、検察とメディアによってつくられた「政治とカネ」フィクションにそらし、魔女狩り異端審問のごとき場に小沢氏を生贄として差し出すことによって、著しく低下した支持率の数字を反転させようという意図は、国民に丸分かりである。
それによって一時的に支持率が回復するかもしれないが、戦略性と実行力に欠ける舌先三寸の政治家が中枢を占める菅政権の構造的脆弱さが改善されるわけではない。
もとより、内閣支持率の急落は、ぶち上げた政策さえ実行できない菅首相のリーダーシップの欠如や、失政、失言の類にあるのであって、国を危機的状況に陥れている「政治責任」を問われるべきは菅首相や仙谷官房長官らではないか。
自民政権時代から続く日本政治の深刻な問題は、政権中枢の不在である。すべての政策立案や根まわしを官僚に丸投げしてきたことにより、官庁縦割り組織の、タコツボ型論理がこの国を支配してきた。
その硬直化した既存統治システムを破壊し政治主導を確立すべく緒に就いたところで、鳩山・小沢ラインが、日米の既得権勢力に潰され、あとを引き継いだはずの菅政権は、かつて党代表をつとめた岡田克也が小沢一郎に語った次のような考えに“避難”する方策を選んだ。
「民主党の政策に自民党と重なり合う部分が多いほど、国民は安心して民主党に政権をまかせる」(小沢一郎政権奪取論)
代表だった岡田から、これを聞いた小沢が「我々は旧来の自民党的、官僚的な手法や発想とはまったく違った理念や政策を打ち出さなければならない。自民党と同じでいいなら、何のために民主党が存在するんだ」(同)と反論したのは当然のことである。