私が問題にしたいのは、このお二方のように、日本のトップクラスの知性を養成するはずのエリート教育を経て、エリート・キャリアを邁進し、ついには国政を左右する立場に立っている人物に、「日本人としての教養」というものが驚くほど欠けているのではないかという危惧である。
私がイギリスで不良大学生だったころ、知己を得た通産省官僚は国家公務員試験制度を擁護して、こう言い放った。
「日本の官僚システムは日本において最も知性に優れた人材を有さなくてはならない。」
知性と引きかえに、日本人としての「ハート」を忘れてしまったエリートでは国がもつまい。
重要なのは「How To Do」ではなく「How To Be」なのだ。