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京都大学教授・佐伯啓思 「菅現象」をめぐる困惑

 実は、ここから推論できることは簡単で、問題は政策論ではなく人物論なのである。政策以前に、菅首相という人物にはほとんど人格上の問題がある、ということだ。

 そうすれば、先ほどの、「菅氏は国民の喜ぶことを何でもする」という批判と「菅氏は国民のことなど何も考えていない」という一見したところ対立する批判も理解できる。「菅氏は国民のために政治をするのではなく、自己の権力のために国民を利用しているにすぎない」ということだ。

 しかし、もっといえば、これは「政治」というものの理解に関わる。民主党は、ことさら政策論議といい政策選択といってきた。国民は合理的に政策選択をせよ、と訴えてきた。しかし、実は、民主政治にあって国民が見るべきなのは「人物」なのである。選ぶべき基準の基本はまずは人物なのである。政策よりも、それを実現する人物をわれわれは見なければならない。

 民主政治の質は、結局のところは、われわれの「人を見る力」に依存するのである。

 政策は言葉で語られる。言葉は重要である。しかしまた、今日の政治舞台では言葉はあまりに軽々しく、便宜的でかつ耳当たりよく使われる。すると問題は、言葉を使う人物へと戻ってくるのであり、われわれの人物を見る目に帰着するだろう。民主政治の土台は、国民の「人を見る目」にあるといわねばならない。