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囲碁プロ棋士 マイケル・レドモンド九段(1)

プロは練習でも、頭の中で展開を考える。碁盤の上に石を並べて試すことはしない。

プロ志望者を指導する際、碁が乱れるといってアマチュア相手に碁を打たせないことが多いという。

しかし、経験の少ないレドモンド九段が入門したとき、師匠の大枝雄介九段がすぐに課したのは、アマチュア相手の三面打(3人の相手に対し、並行して3つの対局を行う)だった。どんどん打って、瞬時に試合の展開を読み判断する訓練、頭の回転を速くするための特訓だ。盤数を踏ませる必要があったからである。

また、年齢的なハンデもあるので、「努力」を座右の銘にしろとも言われた。

「『才能もたいしたことないから』って。自分では天才のつもりだったのに(笑)。今はありがたい言葉だと思います。『何を言ってるんだろう』と思うときもあったけど、10年たった今、ふとそうした言葉が甦ってきます。言葉の意味が染み込むまでに時間がかかるんですね

囲碁プロ棋士 マイケル・レドモンド九段(2)

現代の囲碁指導は、最初に九路盤という9本×9本の線が入った小型の碁盤を使う。だが、当時は通常の十九路盤しかない。今でこそ「碁盤を見ると想像が膨らむ」レドモンド九段ながら、最初はどうしたらよいのか分からなかったという。難しくて手に負えず、何度か挫折した。しかし、それでも、何も置かれていない盤から打ち始める自由さに面白さを見出した。

13歳の夏休みに親日家だった父の友人に連れられ、初めて日本の土を踏んだ。

「羽田に着いて、まっすぐ日本棋院に向かったんです。何の気なしに対局室を覗いたときに、複数の対局をプロが同時に行う多面打を初めて見た。このときは、10人ほどの相手と並行して対局していました。僕も八子(開始前に自分の石を8つ置ける)程度のハンデで1局打ってもらったんです。ところが、自信があったのに一目(1つ差で)負けた。今思えば、一目にしてくれたのかもしれない。プロならそんな操作もできないことはないですから。プロ棋士がいることは知っていたけれど、こんなに強い人がいるとは想像もしていなかった。その瞬間、決意したんです。絶対プロになるって。これで運命が決まった」

帰国すると両親に、「来年から日本に行きます!」と宣言した。

4人兄弟の末っ子でおとなしい子だったこともあり、母親は心配して猛反対。しかし、説得された記憶はない。静かな人だった父は何も言わなかった。後に「夢を持って行くのだから、行かせなくては」と言ってくれたと、母親から聞いた。

当初は反対していた母親は1994年、アメリカの子供たちを対象とした「Michael Redmond Cup」を創設した。レドモンド九段の後に続くアメリカ人棋士が出ないことを憂えてのことだ。このトーナメントは2008年に第14回を迎え、アメリ囲碁協会の祭典「The US Go Congress」で決勝戦を行うほど、権威ある大会となりつつある。このトーナメントの開催を機に、アメリ囲碁協会はイベントの期間中、子供を対象にした囲碁教室も行うようになった。今では50人ほどが集まるという。