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『老子講義』
P236

 そういう大聖を中心者としての世界政治が行われるようになる為には、人類の一人一人の浄めの為に、病気や不幸災難という、この世的には神のみ心のマイナス面であるような、いわゆる消えてゆく姿的な状態を現しつづけていますが、この消えてゆく姿を、如何に本心開発と結びつけてゆくかということが、宗教者の重要課題なのであります。
 道を為めて、損じつづけてゆくことも、無為の世界、宇宙神のみ心の中に入りきってしまうまでに至ればよいのですが、道を極めようとする途中で、あまりにこの世的な損失が多いので、この世的な利益のある方向に向をかえてしまう人も大分あると思います。
 自分は大丈夫だけれど、妻子の為に、という人々もあるでありましょう、自分が正しいと思っても、上役のいうことを通さなければ、会社や役所を止めなければならぬ、止めたら妻子の生活が即座に困ってしまう、ということなど、この世的には随分とあることであります。
 こんな場合心の正しい人は、実に困りきってしまうと思うのです。そういう時にはどうしたらよいのだろう。私にもそういう相談が時々あります。しかし私は、長いものには巻かれろ式の教え方はしません。しかしといって、あなたの正しさをそのまま通しなさいともいいません。この世の出来事は、すべて消えてゆく姿だから、その場その時の正不正に想いを把われさせていてはいけない。その場その時々の上役の不正と見える事柄も、大きな眼からみれば、真実の正しさがやがて現れてくる為の一つの消えてゆく姿なのだから、あなたは、上役の業が一日も早く消えますように、上役と私の天命が完うされますように、という祈り心になって、世界平和の祈りをしつづけなさい、と教えているのです。
 無為の境地という心境になりますと、善にも悪にも、光にも闇にも一切の把われの想念が無くなってしまうのです。そこで道を求めて、やがては無為の境地に達せんとする人々は、やはり、善悪の想念にあまり把われ過ぎてはいけません。その場で悪行為に見えることも、実は、神のみ心が、悪の根源を根絶やしにしようとして、その場に浮かび上がらせて消してしまおうとしているのかも知れません。
 折角神のみ光りで消してしまおうと思って現わしたものに取っ組んで、悪だ不正だと騒ぐことは、かえって大きな神の計画からすれば、その正義観が邪魔になるかも知れません。神々の大きな広いも心から現わされることは、肉体人間の眼からすると、ある時は悪に、ある時は闇にみえたりするものであります。
 ですから、如何なる現われに対しても、想いを乱したり、把われたりしないような、心の修練こそ、道に沿って生きる為には大事なことであるのです。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20120506#1336313138
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20090128#1233155340(相対界を超えた、無為の境涯)
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20080930#1222775752(大人物は皆そう)