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『文明論之概略を読む 上』
まえがき

 かつて服部之総が「主体的に云ってみて福沢惚れによって福沢の真実にはとうてい到達できない」と喝破したことがある(「福沢諭吉」、「改造」昭和二十八年五月号、のち著作第六巻に収録)。善い哉、言や。服部の言葉はもうすこし一般化すれば、M・ウェーバーのあの著名な、社会科学的認識の客観性と価値判断、の問題に行き当るだろう。私は彼の言葉には一理も二理もある、と思う。けれども果してその反対のことはいえないだろうか。惚れた恋人には「あばたもえくぼ」に映る危険は確かにある。しかし、とことんまで惚れてはじめてみえてくる恋人の真実――つまり、電車の反対側の席に坐っている美人を見ているだけの目には、況やはじめから超越的な批判のまなざしで判断する者には、ついに到達できない真実――というものもあるのではなかろうか。

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